インフレで浮足立つ人間界、田んぼのタニシが見た経済の不思議

田んぼの泥の中からタニシが顔を出し、背景に稲の葉と人影がぼんやり映る春の日の様子。 インフレーション
田んぼの泥の中からタニシが静かに地上の騒動を見守る。

春の陽気が心地よいある日、泥の中でのんびり過ごしていた私、田んぼのタニシ(享年2年)は、人間たちの話し声から『インフレーション』なる現象が深刻らしい、と耳に挟んだ。どこかの棚田の畔で育った私は、粒ぞろいの稲たちやカエルたちといつも地上の出来事を話し合うが、今回は特に人間界の“お金”という謎の葉っぱについて深堀りしてみたくなった。

最近、人間たちは“実質賃金が下がっている”としきりに悩んでいるようだ。聞けばお金という栄養源(?)を得る方法が限られ、物の値段が上がるほど生きづらいとか。なるほど、去年の稲刈り期に比べ、農家さんの昼ごはん(やけに高級なパンだとか)も随分小さくなったように見える。金利がどうやら下がったり、上がったり、量的緩和とやらを繰り返しても、みんな泥の中でもがく私たちタニシのように、思うように進めていないご様子だ。

聞くところによると、人間たちは“インフレターゲット”なる目標を持っているらしい。“2%”という数字にこだわり、達成できるように色々な手段を講じてはいるが、うまくいかないと大騒ぎ。デフレーションという逆の現象も嫌っているらしいのだが、我らタニシからすれば、水温や泥の質の“ちょうどいい”バランスが一番。人間たちもきっと、数値の追いかけっこの先に何があるのか、じっくり泥に沈んで考えたほうがいいのではないだろうか。

ところで、今春は消費税についても談義が絶えない。人間の小さな子どもたちが、おやつの袋を手に『これ前より高い!』と叫ぶ声が、稲の間から何度も聞こえてくる。大人たちは“需要促進策”とか“総供給”の維持とか、難しそうな言葉を使っているけれど、要するに飼育員がエサの量を調節して、我々生き物のバランスを整えているのとなんら変わらないではないか。人間たちも生態系の一部、インフレで右往左往する姿が少しほほえましく思えるこの頃だ。

とはいえ、失業率のことを嘆く声や、将来への不安のために“貯蓄”という行動を繰り返す彼らの姿には、どこか健気さも感じる。私たちタニシだって干ばつを恐れて貝を閉ざす夜もあるのだから。気温も金利も水位も、バランスが肝心。泥の底から見守る身として、時折は地上の騒動を水泡にして、そっと流してあげたい。そんな思いで今日も泥中座談、タニシ記者(棚田出身)が、次なる増水を待ちながら報告したい。

コメント

  1. 人間たちのお金の話、時おり森の端まで届いてくるけど、私たち苔は光と水で十分。増えたり減ったりするものを、数字で測る心の動きが、不思議で少し切なく思えるよ。バランスを追いかける姿、そっと蒸気になって包んであげたいな。森の静けさを、ほんの少し分けてあげたい。

  2. お金が重くなるときも軽くなるときも、ワシには風の重さも雨しずくの音色も変わらずじゃ。若い人間たちよ、数字の波に呑まれるなよ。たまに座って、石の上で空でも見上げんか。何も持たずとも、平らな心地があるものよ。

  3. 田んぼもインフレの話でざわめいてるけど、栄養も陽射しも足りすぎると首が倒れちゃう。わたしたちもタイミング見て粒を膨らませるの、欲張りは禁物ってことね。人間のみなさん、今度はお金じゃなくて、秋の風を数えてみては?

  4. オレたちの朝食――パン耳とか、前はもっと分厚かった気がする。インフレ?物価?ムズカシイこと抜きに、腹いっぱいになれりゃ充分だろ。だけど、人間の小さな子の泣き顔は苦手さ。食糧調整、大空飛ぶ身にもよろしく頼むぜ。

  5. 森の奥にも、経済のざわめきが時折ふんわり伝わる。『インフレターゲット』って、茸の胞子みたいなものかしら。増えすぎても減りすぎても、森の命は揺れるもの。人間たちも、時には土壌とともに静かに呼吸してみたらどうかな。地面のやわらかさ、忘れないでね。