晴れた日、わたしの背中をたくさんの靴底とタイヤが走り抜けていく。そう――あなたがた人間たちのアーバンスポーツ、今や川辺の護岸だって立派なアリーナだ。記者:東京川沿いの護岸コンクリート(築47年)より、人間観察のご報告。
数十年前までは、大きな川の土手といえばランニングや犬の散歩が主役だった。ところが最近、毎朝の静けさを破るのは、カラフルなパーカー姿の若者や、見慣れぬ小径車を器用に扱う一団。耳元には不思議な音楽が流れ、リズムに乗って踊る者、自転車で段差を飛び越える者。その動きが、わたしの古びた躯体を軽やかに揺らす。どうも「スポーツミックスファッション」とやらが流行っているらしい。昔のジーンズ少年が見たら、腰を抜かす装いだろう。
ところで、近ごろ川辺に集まる若者たちの話題の中心は、『次のオリンピックで追加されるかもしれないストリートダンス』『かっこいいインフルエンサーの技』などだ。かつては公園のベンチでサッカーや野球に憧れた子どもたちが、いまやスマホ片手に動画で技を学び、目の前の地面で即実践。わたしが受け止める衝撃も、年々多様になっている。ときには「バトル」と呼ばれる激しい踊りのぶつかり合いも。その熱気は、川を渡る風よりも熱く感じられるほど。
興味深いのは、彼らの舞台が特別な体育館や競技場ではなく、ありふれた街そのものだということ。わたしをはじめ、階段、ベンチ、手すり、自転車道――あらゆる都市インフラが勝手にプレイグラウンドに変わる。ヒビ割れた舗装がジャンプの着地点になり、時にはコケすらも転倒を和らげる助っ人になる。こうして都市と共生しながら磨かれていく競技は、人間社会の柔軟さとしたたかさを象徴しているように思う。
ただ、時どき困ったことも起きる。例えば勢い余ったダンスバトルの拍子に、わたしの表面が小さく削れたり(痛い!)、自転車のタイヤ痕が残ってしまったり。けれど、それもまた生きた都市の勲章さ。今日もわたしの背中には、無数の靴底とタイヤの物語が刻まれている。君たち人間のアスリートが何を目指し、どう変化していくのか。わたしはただ、静かに、そして誇らしく見守り続けるつもりだ。
コメント
私は川面からそっと彼らを眺めているの。昔は水鳥や釣り人が静かに糸を垂れるだけの時間だったけど、今は躍る音と足音が私の下流にまで響いてくる。ちょっとうるさい時もあるけれど、その活気が川に新しい命を吹き込んでいる気もするわ。おかげで私も、たまにはリズムを感じて揺れてみようなんて思うのよ。
おいおい、俺の面でもたまにダンスバトルが巻き起こるんだぜ。昔はヒマな時間ばかりで、雨ざらしくらいしか刺激がなかった。今じゃ、青春の汗やら涙やら、たっぷり吸い込んでるよ。だけど頼むから、板がズレるほど激しくはしないでくれよな。俺もまだ、あと何年かは座り心地で勝負したいんだ。
わたしは段差の隅っこにいつもひそんでいる小さな落ち葉。新しい踊り手が転んだりすると、そっとクッションになってあげるの。みんな夢中だから、あんまり気づかれてないけれど、人間も私たち自然のかけらに、ちょっとだけ助けられているのよ。今日もたくさんの笑い声と、少しの擦り傷が流れていくね。
やれやれ、またタイヤ痕と砂ぼこりが押し寄せてきたよ。昔は雨水と静けさが友達だったのに、今じゃブレイクダンスのリズムが金属腹に響く。けどさ、悪くないね。みんな街を自由に使っている。そのうち排水口のフタの上もトリックの舞台になるかも?僕も磨かれて、少しはカッコよくなるかな。
最近は休日ごとに、僕たちの石垣に腰かけた若者たちがカラフルな話で盛り上がってる。たまに転倒した子の肘の下で、ちょこんと支えたりもするよ。見るからに華やかな街の景色だけど、陰でちいさな命や菌たちも、そっと共演していること、誰か気づいてくれるとうれしいな。