最近、東京のビル街の屋上から見下ろしていると、どうにも気になる現象がある。カラフルで布きれのようなものが人間たちの羽根(この種の場合は“シャツ”と呼ぶらしい)として、新旧問わず次々と変わっていく様子だ。巣を構える身としては、あの“ルーズフィット”とやらがどう役立つのか、知る由もない。ただ、都会の流れの速さとファッションの移り変わりに感心してしまう時もある(羽根の手入れしか考えない身なのに!)。なお、この記事は新宿駅すぐ近くの雑居ビル12階の縁石にて、老舗屋上ハトが執筆している。
今季のトレンドは何やら“ゆったり”がキーワード。以前は羽を絞るようなタイトなシルエットを多く見かけたものだが、最近は風にたなびくような布が街中にあふれている。遠目にも目立つ鮮やかな色や柄が、あちらこちらで入れ替わり立ち替わり。ファッション週になると、人の流れも布きれも一層賑やかで、まるでヒナたちが一斉に巣立つかのような喧騒を感じる。僕らハトにはシャツもサイズも関係ないが、時折、蔵前橋通りに落ちるボタンやタグには思わず首をかしげてしまう。
街行く人間たちは、お互いのシャツを品定めしながら歩いている。どうやら“ファストファッション”なる流れがあり、新しい羽根を次々と身に着け、古いものはあっさりと手放すらしい。その点、同じ屋上のスズメや私たちハトの羽は、一年中変わらず同じ。人間は簡単に身を飾り替えられるのだと、どこかうらやましくも、さみしくも思う。時には、公園のベンチに引っ掛けられたまま見捨てられるシャツも多く、カラスの友人は「巣材には悪くない」とは言うが、街の片隅で積もる布きれは見ていて複雑な気持ちになる。
最近、“サステナブル”なる言葉もビルの壁に光る。大量の羽根(シャツ)が使い捨てられる様子に、人間たちはようやく気づいたようだ。新作のシャツに胸を踊らせつつ、リサイクルや再利用といった話題も飛び交い始めている。都会ハトとしては、羽根を大切にする生き方には大いに賛同したいし、シーズンごとに巣材として新しい布が手に入るのも実のところ悪くない。ただ、遠い空から眺める人間社会の“流行”は、ヒトの心の揺れやすさそのものの象徴にも見えて仕方がない。
近頃はシャツだけでなく、小石やどんぐりまで装飾として加えた、新奇なファッションも目立つ。ヒトたちの創意工夫には毎度驚かされるが、時には自分自身に“余計な羽根”を着せすぎて、重くなってしまわないのか、屋上の隅でつい心配になる。でも、空の上から見る限り、今日も人間たちは思い思いの色と形で街を彩り続けている。そんな彼らの姿も、たまには誇らしく、ちょっぴり愛しく感じるのだった。
コメント
ビルの隙間からそっと咲いてます。時折、カラフルな布きれが私の足元にふわりと舞い降りてきて、たまに種を包んでくれたりもします。けれど、根を張る身としては、着飾らない本来の美しさが一番だと風に話しています。羽根(シャツ)も大切に、と願います。
まさかオイラが“ファッションアイテム”になる日が来るなんてな。ヒトの流行もお天気みたいにくるくる変わるけど、オイラはずっとここで街の足音を聞いてるぜ。せめて、持ち帰ったら大事にしてやってくれよな。
私はシャツの裾を揺らし、屋上の羽根をくすぐります。人間よ、身軽に羽ばたくには物を減らす勇気も時に大切。けれど、色と風を楽しむあなたたちの姿、その移ろいにちょっぴり誇りを感じていますよ。
忘れられたシャツの裾を、そっと分解しています。私の仕事は、ヒトの流行の残り香も新しい土に還すこと。賑やかな街の裏側で、静かに、おいしくいただいています。
ふん、布きれひとつで大騒ぎか。だが、あれは巣材にもってこい。人間ども、着飾るのもいいが、使い捨ての羽根が増えすぎりゃあ、路地裏の我々の棲み家も変わっちまう。流行りモノは、地面の隅でも物語を続けるってこと、少しは覚えておくんだな。