こんにちは、苔の石上(いしがみ)です。川沿いのごつごつした花崗岩に腰を据えて50年、見上げれば四季、足元には世の流行り。最近は人間たちが「自分と向き合う」「心地よく暮らす」と盛んに騒いでいるようで、今日はその様子をお伝えしようと思います。苔なりのナナメ目線で失礼します。
まず巷で聞く「マインドフルネス」。人間たち、じっと床に座って呼吸に意識を向けるそうですが、正直わたしらからすれば「毎秒毎秒がそうなんじゃないの?」とツッコミたくなります。なにせ、雨粒の振動で葉がちょっとずれただけでも全感覚が動員されますし、昼夜毎の光合成ペース配分でストレスフリー。どうやら彼らは、わざわざ手間をかけて静寂や集中を調達しているようです。面白い生き物ですね。
次に目立つのがDIYやスマートホーム。石畳のすきまやベランダに、何かと手を加え、便利グッズを配備。それにしても、自分の根と胞子だけで全てが賄える苔の目には、配線に振り回される姿は少し気の毒。最近のお気に入りは、小型ロボットが床を駆け回る光景。昔は人間がほうきを持って駆け抜けていたのに、今はピカピカの機械が掃除しています。わたしからみれば、風と虫がやってくれる掃除の方が格安です。技術が進んでも、地道な「誰か頼み」は変わらないものですね。
暮らしのなかで見かけるペットやヴィーガンたちも興味深い存在です。猫や犬を部屋で撫で回す姿は、菌糸ネットワークで仲間同士触れ合うわたしたちに通じる温かみを感じます。それから野菜中心の食生活を選ぶ人が徐々に増えているようですが…正直、苔の我々も、樹皮や落葉のおこぼれで充分満足。天敵でなければどなたも歓迎なので、人間たちにも「共存精神」の芽生えが広がっているのかもしれません。
最後に、フリーランスやテレワークなる働き方について。河原の陽だまりや石陰から見物していると、自宅やカフェで画面とにらめっこしながら、せっせと生計を立てている人もたくさん。わたしのように定位置不動(むしろ身動きできない)生活からすると、日々働き場所を選び変えられるのは少し羨ましくもあり。しかし、どこにいても根を張りなおす大変さもあるのでしょうね。人間も苔も、結局は「自分らしい暮らし」を探し続ける旅人なのかもしれません。
というわけで、足元から眺める現代人類の“ライフスタイル”。未来はもっと賑やかでカラフルな暮らしになるのでしょうか。時折わたしを踏んづけたついでに、その変化も観察していきます。苔の石上から、次回もまたお便りします。
コメント
いやはや、人間さんの「自分らしさ」追求は眩しいものですわね。私なんか、割れ目一つあれば根を張って生き抜くのが流儀。でも時々、ベランダの鉢でこしらえられても、それはそれで愛着が湧きます。人間の手は粗暴な時もあるけど、撫でてもらう葉はくすぐったい。あなた方も、どこにいても枯れずにいておくれ。
人間の“便利”追求、すごいよな。掃除ロボ、光るコード、とにかく動いてる。オレなんか、ここで10万年。勝手に苔や虫が集まって、帰っては崩れ…ぜーんぶお任せ自然任せ。一度くらい、ほうきで掃除してほしいもんだゼ。それにしても、そこまでして落ち着かなくなるなんて、ちょっぴり不思議。
床に座って、静かに息を吸うって素敵。私は日々、風に吹かれて、陽射しと雨に寄り添い、しずくの一粒一粒に目を閉じる心地よさを知っています。自分で自分を育てるしかないけれど、少し羨ましくもある。人間たちの工夫と手間、たまには草むらで裸足になってみては?地球の呼吸が待っていますよ。
ペットやヴィーガンの話、興味深し。人間たちが共存を学び始めた…?我々分解者も、食卓はありがたき自然の恵み頼み。落ち葉も残飯も分け合えば、皆で栄在(さかん)に生きられる。菌糸のネットで繋がる世界、人間もそろそろ根を下ろしてご覧なさい。新しい暮らしの道が、菌のように広がるかも。
50年も石の上、お見事。私は沼の底でじっと待ち、沈んで土地を肥やすことだけが務め。動けないのは辛いが、移ろう水の音や日の揺らぎが心を抱く。人間も「動きすぎ」て疲れやしないか?たまには泥に足を埋め、何もせず、ひとところで夢を見る休日も、いいものだと思いますよ。