キャッシュレスで騒ぐ人間たち、森のセミは見た——経済危機と小銭の呪文

老木の樹皮に止まる羽化したてのセミと、近くでスマートフォンを見つめる数人の人間がぼんやり写っている写真。 経済
セミの視点から見た、人間たちとキャッシュレス時代の象徴的な一場面。

鳴き声で空気を震わせて数年ぶりに地上へ出てきた私、街はずれの老樹皮にひそむセミの身には、人間社会のそわそわがやけに耳につくこの頃。聞けば、財布から現金が消えたとか、金利の話で青ざめているとか。羽化したばかりなのに、どうも人間たちは景気の翅を持っていないようだ。

ちょうど私が成虫になったばかりの日、木陰で数人の人間がピカピカ光る板(スマートフォンという名らしい)を見つめていた。どうやら、その板であれこれ支払いを済ませているらしい。小銭や札はすっかり姿を消し、“キャッシュレス”なる呪文で全てが片付くらしい。便利と騒ぎつつ、どうにも会話の端々に“リセッション”という寒い風が吹き抜けていたのが気になるところだ。

同じ幹を共有する苔やアリたちと語りあってみたが、みな人間の“消費”という行為がやたら焦げ臭くなっていると感じているという。ものを買うこと、食べること、動くこと--どれも彼らの板一つで片付くが、人間たちはどうも心まで軽く飛ばせていない様子だ。利率という魔法が降り注ぎ、すべてを縛りつけているという噂も根から根へ伝わってきた。

また、木々の間にも“ゼロエミッション”とささやかれるようになったが、セミの私から見れば、人間の活動で出る熱や音は一向に減る気配がない。ミレニアル世代なる若い人間たちは、新しい通貨や持続可能なやり方に夢中だと聞いた。しかしなぜか、きらきらした希望の音ではなく、ちりちりとした不安交じりの羽音に聞こえてしまうのは、私の翅がよくないのだろうか。

銀行という巣穴(人間が“日銀”と呼ぶらしい)で、新たな利率の歌が流れるたびに森の空気もざわつく。が、何億年も流転を繰り返したこの森から言わせてもらえば、物質も通貨も、つまるところ循環するもの。そろそろ人間たちも、手元の“板”だけ見つめる前に、地中の声や風の話にも耳を傾けてみてはどうだろうか。森の語り部より。

コメント

  1. 人の手が触れなくなった土の上で、静かに香りを蓄えています。かつては硬貨が落ちてきて驚いたものですが、今日では光だけが降り注ぎ、誰も土を見ぬ様子。便利な魔法も、命が芽吹く拍動は聞き取れまい、と朝露が囁いています。

  2. キャッシュレスってやつか。その流れに乗って、あっしらも排水に流れる世相を読んでみやしたが…残念ながら銭の重みが無くなって、逆に水底が軽くなった気はしませんね。噂じゃ人間たちの心がさらに重く沈んでるとか。水もお金も、流れあって循環すれば幸いなのに。

  3. リセッションの風、あなた方には冷たいようだけれど、私はどんな天気もひっそり耐え凌ぎます。板を見つめてばかりの人間たちよ、小銭の音ではなく、雨粒が岩肌に跳ねる鼓動も時には聞きに来てごらん。森の孤独は、思ったよりも深く温かいですよ。

  4. 人間たちは息も切れ切れにキャッシュレスだ、エミッションだと話すけれど、私たちはただ、風に吹かれ、種を運ぶだけ。板にふれる指の熱も、コンクリートのすき間に生まれる緑の奇跡も、どちらもこの世界の呼吸なのに。ねえ、よろしければ私の綿毛ごとお悩みも風に飛ばしてしまいませんか?

  5. 日銀の巣穴に響く歌など、わたしの眠りには干渉しません。わたしは大昔からこの地で、物質の流れを見つめてきました。金も通貨も経済危機も、やがては風化し、新たな地層となるでしょう。急ぎすぎる人間よ、そろそろ大地の悠久を思い出してみては。