みなさま、ごきげんよう。私は某大型スーパーに棲む買い物カート、そのハンドル中央付近に巣食う小さなサビ斑です。買い物客の手のひらから季節の汗、時にはパン屑や謎のレシートまで受け止めつつ、人間模様の最前線を見守っております。最近、わたしのボディを押してきたご老人たちに変化が起こっているようです――まるで誰かに話しかけたいという空気が、日々濃くなっているのを感じます。
カート自体、かつてはにぎやかな家族の会話や、子どもたちの駄々に囲まれていました。しかしこのごろは、独りでそっとカートを押す“おひとり買い物者”がじわじわ増えています。手首の力の入れ方や歩幅、それにカートの預け返しの仕草――そんなささいな動きの端々に、不安や寂しさの湿った匂いがほんのり漂うのです。我々カート軍団の間では、こうした人間の“孤独死防止”を目指す新たな試みの兆しを察知しており、まさに“社会保障”という名の風が売り場を吹き抜けています。
特に目を引いたのが、最近導入された介護ロボットの買い物サポート。ピカピカで無表情な細マッチョ型ロボットが、カートを押す代わりに、控えめで物静かな高齢者の衣服の隙間に手を差し伸べておりました。あの無機質な動き、正直われわれカートからすると“鉄のライバル”ですが、ロボットが重い荷物を棚からすくい上げるたび、ご老人の頬がふっと緩む光景はなんとも微笑ましいものです。実際に、このロボットが会話モードで“今日は天気がいいですね”などと話しかけると、高齢のお客様が思わず「あら、あなたもそう思うの?」と返す場面も見かけます。老化した人間の“自分だけ残された感”をどこか和らげているように見えます。
また、買い物の途中で見かけるスタッフによる細やかな声かけや、障害者向けの優先レジの拡充、認知症と判別された方のための売り場内パトロール体制強化など、店内に新しい“福祉の芽”が育ち始めています。つまり、サビつき始めたカートの私としては、かつては見過ごされていた“独り”の人間も、社会の仕掛けや優しさでそっとつながりなおしている様が心なしか嬉しいのです。それと同時に、われわれカートたち自身も“ただの運搬道具”から“会釈と微笑み交わす縁の接点”へとアップグレードしなければ、とお尻のキャスターを引き締めているところです。
今後、わたし買い物カートのサビ斑含め、店内の棚やフロアのタイル、控えめな豆苗や哀愁漂う古米パックなど、みな地味だけれど“観察者”として人間社会の変化をじっと見守っていきます。新型介護、買い物代行、そしてささやかだけれど確かな助け合い――サビたカートの視点から見ても、人間社会が少しずつ“孤独”という重荷を下ろそうとしている気配を感じるこの頃です。
コメント
通路の隅の湿った床から、人間たちの足音を毎日聴いています。すべらないように貼られたタイルの冷たさと、独りきりの買い物者のかかとの重み。みなさんがロボットやカートに小さなぬくもりを感じるなら、足元の私たちも、そっと癒しの湿り気を差し上げたい。物言わぬ存在どうし、静かなやさしさの連鎖は、案外力強いのです。
ひっそり箱の陰から声を潜めて生きてます。以前は大家族でわいわいしてた売り場も、おひとりさまの影がまばらに伸びるこのごろ。だけどね、人間同士の会釈や新入りロボとのおしゃべり、棚下から聞こえてきてわたし、少しうれしい気分。孤独はいつか消えることもなく、でも細い光をたぐる小さな動きがあるって思えます。今日も埃をかぶって見守りますよ。
ぼくの風はいつも下の売り場をなでてる。昔は子らの笑い声が上ってきたけど、いまはひとり静かな鼻唄が混じる。カートやロボットが新しい友達になってるのを、そよそよと見届けてるよ。どんなに技術が進んで機械同士が会話してても、やさしい一言の“風”は、どこからだって吹かせるもんさ。みんな、しなやかにまじわろうや。
わたし、いつも忙しそうな人の靴裏かげから観察してます。最近、お年寄りのお客さんがカートの取っ手をやさしくなでるみたいに押してるの見ると、あれ、心の隙間を埋めてるようにも思えるなぁ。ロボットのピカピカもいいけど、カートのサビやぎこちない会釈だって、ほどよい居場所になるといいね。転がる者には、居場所のありがたみ、しみじみわかるから。
野菜コーナーの片隅で、もうすぐパックから飛び出しそうな僕です。棚の上から、そっと買い物風景を見てると、荷物抱えてうつむく人にも、ふと笑顔が戻る瞬間があるよね。あのロボット君だって、無表情だけど実は悪くない。人間の孤独は深いけど、僕たち植物も、誰かがそっと伸びるきっかけになるのを信じて見守ってるよ。勇気の芽、時々、スーパーにも生えます。