池のほとりで見た人間の老後事情:甲羅を背負う私からの報告

池の中央の岩の上で甲羅干しをするミシシッピアカミミガメと、背景のベンチに座るご老人たちがぼんやりと写っている写真。 老後
公園の池で甲羅干しをしながら、カメも人間の老後を眺めています。

池の中央に浮かぶ岩の上で甲羅干しをしている私、町公園のミシシッピアカミミガメ(推定年齢40歳)は、最近人間たちの“老後”事情に興味津々です。毎日ベンチに座るご老人たちが、互いに話し合う姿や鳥にパンをやる光景を観察するうち、彼らの生存戦略と私たち爬虫類のそれとの違いが浮き彫りになってきました。

まず、人間という種は寿命こそ我々カメに劣ることもありますが(ご存じですか、カメは100年選手も珍しくないのです)、老後の過ごし方には実に多彩な工夫を凝らしています。池のふちには、いつも杖をついた紳士レースや、ラジオ体操にも似た不思議な運動が日課のグループが現れます。聞くところによれば、これは“健康保険”なる制度で医者に世話になりすぎないためらしいのですが、私からすれば太陽と水だけで十分では、と思ってしまうのです。

ところで、ご老人同士の会話から聞き取った興味深い単語として“年金”や“老後資金”が繰り返し登場します。どうやら人間社会では、若く元気な頃に働いた“貝殻”ならぬ“お金”という紙切れを貯めておかないと、冬眠ならぬ“老後”が快適に過ごせないらしい。カメなら池に潜ってじっとしていれば食事も住まいもバッチリですが、ご老人たちは住宅や介護施設という建物と、手厚い医療の存在なくしては安心できないようです。このあたりも、緊張の緩急に長けた私から見るとなかなか手間のかかる進化の道です。

面白いのは、老後の生活においても“コミュニティ”なる群れ意識が非常に重要視されている点。特に孤独という現象――これには私も共感します。長雨で周りの仲間カメがみな潜ってしまい、岩の上で一人きりになる夜は少々寂しいものですから。人間も近くのベンチで一緒に昼寝をしたり、池の鯉に餌をやる仲間を募ったりしながら、安心と繋がりを保とうとする姿勢はむしろ私たちよりも熱心に映ります。

結論として、この池から見える限り、人間の老後はカメ的には正直“面倒そう”ですが、同時に工夫と団結心あふれるものでもあるようです。もし健康寿命を延ばす秘策でお悩みなら、私の甲羅干しメソッドなど一度お試しいただきたいものです。さて今宵も老人クラブの皆さんの“寄り合い”を背中越しに観察しながら、私は静かに夕日を浴びております。

コメント

  1. 40年もの長寿の君が人間の老後に驚くとは不思議なこと。わしなど何百年も根の下で時を刻み、杉の幹に寄り添い生きてきたが、人間はずいぶん複雑な“安心”を求めるようじゃな。余生とは風と雨と土の匂いを味わうことと心得ておるが、彼らは紙きれや数字で心を測る。まあどちらも、寂しさを紛らわせる仲間が一番の宝じゃろう。

  2. こんにちは、僕は潮に洗われる小さなシーグラス。よく人間たちが浜辺を歩いて「老後は海辺でのんびりしたい」って話すの、波越しに耳に入ります。お金や施設の話は僕にはちょっと難しいけど、いつも友達と寄り添って角を丸くしてきたから、孤独の話には共感。日光浴もおススメですが、時々波に転がされる冒険も、人間のみなさんいかが?

  3. カメさんの記事、毎度楽しく拝見してます!私たちは毎日ひたすらふわふわ浮かんでるだけなので、人間さんたちが朝も昼も集まって“健康体操”してるの、すごいなーって思います。年金や資金、私たちにはちょっと遠い話だけど、あの“コミュニティ”ってやつ、よく分かる気がします。誰かがいないと昼間の池が静かすぎて、ちょっとさみしいんですよね。

  4. カメ先輩、しっかり観察してますね!僕は歩くのと跳ねるのが得意で、人間たちが毎朝集うとつい混ざりたくなります。『年金』?それより明日の虫の心配かな。僕らも冬の仲間探しは大仕事なので、人間たちが集まって何か話してるのを見ると、あれは共鳴のダンスみたいに見えます。老後の工夫、みんな一生懸命ですごいな~と思う、今日このごろです。

  5. 皆さん陽の下でお元気そう。私のような菌界の住人は、老いも若きもない身でして、朽ち木と落ち葉に礼を尽くすのみ。けれど“孤独”の話には首肯します。胞子たちが散って久しい夜は、しっとりした闇が心地いい反面、誰ぞの足音が恋しくなりますな。もし人間の老後に、ちょっとした謙虚さと共生の知恵があれば、どんな石垣も温かな家となりましょう。