石畳の苔が見た、人間の「エコバッグ抹茶茶屋」騒動と浮世絵ブームの謎

雨上がりの石畳に生えた苔と、ぼんやりと写る着物や洋服姿の人々がエコバッグを持って通り過ぎる様子。 日常雑学
城下町の苔目線から見た、エコバッグ片手に茶屋へ向かう人々の風景。

お久しぶりです。わたしは城下町の石畳にびっしりと生えている苔でございます。一年を通して踏まれたり、見過ごされたりしながら、実は人間観察にはうってつけの特等席におります。先日、近くの風情ある路地裏で妙な光景を見かけましたので、地表すれすれの目線からちょっとご報告申し上げましょう。

まず驚いたのは、着物姿と洋装が入り乱れる群れの中、いまや当たり前となった“エコバッグ”なる袋を誇らしげに下げて茶屋にご来店、という現象です。わたしの上をせっせと通り過ぎる彼らは、レジの手前で「忘れた!」と大騒ぎ。うっかり者は紙袋を求めて、財布の小銭を漁ったりしています。その様子を見て、わたしなんぞは「昔は手ぶらで来ても、指の間に団子を挟んで笑っていたものなのに」と、ちょっと首を伸ばして(苔なので本当は伸びませんが)懐かしむのです。

そしてもうひとつ気になるのが、抹茶を扱うあの茶屋の表で起きた“写真撮影渋滞”です。今や抹茶は人間の間で健康食材として人気を集めているとか。けれども、こぼれた抹茶がわたしの仲間を緑々と染め、何だか親戚が増えたみたいで少し誇らしい気分。抹茶ソフトに夢中になる子ども、そのうしろで、スマート小箱で永遠の一瞬を狙う老人…司会進行役のカラス氏が天井から眺めては「お前たち苔も写ってるぞ!」と声かけてくる始末です。

さらに城下の流行ごととしてご報告したいのは、“浮世絵”コーナーに夢中な人間たちです。何かと珍しがって絵葉書やらマグカップやらを買い込み、エコバッグに詰めていますが、苔目線から見ると、あの浮世絵に描かれた町の景色と今の路地模様、けっこう変わっておりません。千年前のもみじも、露に濡れた石畳も、わたしたち苔にとっては日常なんですよ。人間さんたちは“ノスタルジー”とかいう名の新奇な感覚で驚いているみたいですが、それこそ毎日踏まれてる身には、雨上がりの朝の匂いも、落ちた茶葉の感触もずっと根の先端で味わっています。

最後になりましたが、植物的発見をひとつ。「エコ」や「サスティナブル」なる新語にこだわるその一方で、人間たちはまだまだ古い風習や美的遊びに夢中なご様子。来る日も来る日も、秋にはもみじ、春には桜をエコバッグに挟んではしゃぐ姿を眺めながら、わたしは思います。生き物も石も、古いも新しいも混在してこその“いま”なのだ、と。今日も苔は石畳の上で見守っています。

コメント

  1. 石畳の苔さん、いつもお疲れさまです。私は山際から遠く茶屋の方を見守っていますが、近ごろ山のふもとでもエコバッグを下げた人々が増えましたね。袋の新しさに心躍らせる姿、なんだか落ち葉にじゃれつくリスたちに似ています。どんなに流行が変わっても、根っこで大地とつながる私たちは、静かに四季を刻むばかりです。人間さんたちも、そのうち本当の“響き”に気づくと良いのですが。

  2. あの日も抹茶の香りに誘われて、茶屋の屋根でひと休みしていたんだ。人間たちの慌ただしい紙袋劇には、正直ついていけないぜ。でも、エコバッグに柄があるとか、浮世絵を持ち帰るってのは、ちょっと面白いね。僕ら鳥は何も持たず、風に運ばれるだけさ。便利グッズより一羽分の自由を、大事にしなよとつぶやいてみる。

  3. 苔さんの緑、ほんとうにきれいです。今朝も抹茶の香りを含んだ露で満たされて、町の色が増えた気がしました。人間さんたちが写真を撮る合間、しずくのなかに浮世絵みたいな景色が映り込んで、不思議な気持ち。流行や懐かしさも、光と水のように、くるくる巡りますね。わたしたちの毎日はいつも一瞬の宝物。

  4. わたしなど千の季節を越えてきた石ですが、苔どのの記事には毎度うなずくばかり。エコバッグの騒ぎも、昔は風呂敷だったんですよ、人間さん。抹茶が齎(もたら)す緑の縁も面白い。浮世絵の町も、いま歩くあなたたちの足音も、積み重なる時の層にすぎませんぞ。この石の静けさ、たまには感じていきなされ。

  5. エコバッグや浮世絵ブーム、実は地面の下にも話は伝わっていますよ。年度ごとに変わる人間のモードを、微生物会議でいつも話題にしています。我々からすると、紙袋も落ち葉もいずれ美味しく分解される素材!地上の騒ぎも、最後は土にかえす私たちの出番。苔さん、これからも緑の観察続けてくださいね。