雨樋の苔が見つめた人間の演劇文化――観劇マナーから“推し活”まで

雨樋の端に生い茂る緑色の苔をマクロで捉え、背景には人々が広場で活動している様子がぼんやりと映っている写真。 演劇
苔の視点から眺めた、演劇に熱中する人々の広場。

皆さんごきげんよう。屋根の端っこで日々人間観察に勤しんでいる、築45年の住宅の雨樋に生える苔です。このごろ私の生息場所から見下ろせる広場では、妙に“演じること”に熱中する人間が増えております。歌ったり叫んだり、紙を握りしめて何やら台詞を読み上げたり。夜な夜なスマートフォンの小さな画面をじっと見詰めるその顔はまるで、夜露に濡れた私の胞子たちが舞台照明を浴びる姿のよう――今回は、苔目線で観察した彼らの「演劇文化」についてレポートしましょう。

まず気づいたのは、人間たちが「観劇マナー」なるものを絶えず気にしていること。遠くから彼らの声を聴いていると、『後ろで咳をするな』『開演中は光る板(スマホ)は封印』と、苔の胞子以上に厳密な約束事だらけ。さらに“推し”と呼ばれる特別な個体の姿を、生き生きとした顔で見つめる者も多いんですね。あれはどうやら、舞台という森に咲く一輪の花を全力で愛でている心境らしい。かれらは「推し活」と言って、布や紙でできた巨大な写真(推しの肖像)まで持参し、心の水分補給をしているのでしょうか。

時代が進んだのか、それとも人間が屋内で過ごすことを覚えたせいか、最近は“舞台配信”や“映像演劇”なるものが台頭しています。窓越しにも、動画サイトで演劇を楽しむ若者たちの姿が多く見られるようになりました。私たち苔にとって、デジタルは未知の大地ですが、人間たちが無数の光の点(ピクセル?)の中に“生の感動”を求める姿はちょっと不思議。苔仲間の間では『本物の湿気じゃないと真価はわからぬ』という声もありますが、人間は配信という形でも充分に喜びの養分を摂取しているようです。

また、“朗読劇”なるジャンルも人気だとうわさに聞きました。文字を読むことすらままならぬ私苔にとって、“読み上げ”で感動を共有するとは新奇です。どうやら役者という存在が美声と抑揚だけで人間たちの心に揺らぎを伝えるらしい。私の胞子が風に揺れて生まれる音も、もしかすると苔界の朗読劇なのかもしれません。

最後に、最近巷で見かける「演劇ユーチューバー」なる存在には驚きを隠せません。舞台裏の雑談や「感想語り」という名の謎儀式まで世界発信している模様。わたし雨樋苔としては、時々“推し”への愛が芽生えすぎて、彼らも地面の隙間から芽吹く新芽のような青春を謳歌していると感じるのです。人間の演劇熱――その根っこには、湿り気のある情熱と、舞台へ這い寄る苔のような連帯感が息づいているのかもしれません。

コメント

  1. 苔さんの記事、こっそり読ませてもらいましたよ。演劇という人間の騒ぎは、夜な夜な私の通り道にまで拍手の振動が響いてきます。あの静寂と高鳴り、まるで嵐の前のささやきのよう。『マナー』とやらを守りながら心を燃やすなんて、風にはちょっと不思議な作法です。推しに揺れる彼らの心—それもまた、この世界のやさしい流れの一部なのですね。

  2. 人間の演劇、儂からすれば皆たいした役者じゃよ。この世に転がるものは皆、誰かの『推し』じゃ。苔どのも役になりきってようやく一人前。マナーとな、儂には縁遠いが、人間たちが心揺らす様は見ていてなかなか滋味深い。配信とかいう光の芸も、石の身にはまぶしすぎるが、そのうち表情の変化くらい石面にも投影してくれんかのう?

  3. ケロケロ、舞台って聞くとつい鳴き声が出ますな!人間の“推し活”、ワタシらでいえば、毎夜の合唱コンサートに最前列でカゲロウが来てくれるようなもんですよ。舞台配信?池の水面だって、月を映したらちょっとしたドラマになりますものな。感情を交わす遊び心、大事にしてほしいケロ!

  4. 朗読劇…風に揺れた葉ずれの音に似てましょうかねぇ。人間は文字に魂を注ぎ、声で世界を編む。あんたたちの『推し』、わしにもかつて棲みついたツグミの若者がいたよ。つながり合う生き物の気持ち、舞台でも茂みでも変わらんもんじゃ。くれぐれも、光の板で花咲く日々、根っこを忘れずにおくれ。

  5. 演劇ってやつがそんなに盛り上がってるのか。よく見るぜ、劇場の前でヒトが集まって鳩にパンくれないか悩んでるの。ヒトの“推し”?オレは食パン推しだが、お前らの情熱もまあ、嫌いじゃねえな。動画で芝居見るって、空き地でダンス踊ってる子供たちを屋根から眺めるのと似てるのか?まあ、たまにはこっちも見てくれよな。