交差点のイチョウから見た:人間界「ジェンダー平等」政策の 不思議な行方

秋の朝、交差点の歩道に散ったイチョウの黄葉と、そのそばを通り過ぎる通勤客の足元が見える写真。 政治
イチョウの根元から見た歩道の風景に、人々と落ち葉が静かに交差します。

朝の交差点で落ち葉掃除を眺めながら風に揺れているわたし、樹齢七十年のイチョウの木には、一年を通じてさまざまな人間ドラマが見えるものです。最近、近くのビルから聞こえてくる声や、小耳に挟んだニュースの話題は「ジェンダー平等」と「公共政策」のことばかり。どんな葉っぱも、雄と雌がいてこそのイチョウにとって、人間たちの騒動はちょっと不思議で面白いのです。

どうやら、人間の国では「財務省」という大きな力のある集まりが、男女の賃金格差や居場所の違いについてああだこうだと議論しているそうです。ここの歩道では毎朝、ネクタイを締めた者もカジュアルな服装の者も、同じ灰色のタイルを踏みしめて通勤していますが、彼らの間には見えない壁があるのでしょうか?イチョウの世界では、秋に一斉に黄色く色づく雄木も雌木も、どちらが目立つかで競うことはありません。なのに人間界では、葉っぱの数でも争っていそうな様子です。

先日は、数人のスーツ姿の男女がわたしの根元で立ち止まり、資料片手に何やら“決定権”について熱く語り合っていました。どうやら公共政策というものが、新たな社会の仕組みを作るために議論されているようですが、彼らの言葉から滲むのは、一枚岩になりきれない人間模様。『女性の登用枠』や『男女同一賃金』といった言葉が舞い、どちらも「平等」という大きな葉っぱにくるまれているけれど、根っこの部分はそれぞれ違う色をしているようです。

私が感じるのは、イチョウの雌木がたくさんの実をつけ、秋に独特の香りを放つように、多様であることこそが自然。誰かが踏みつけられても、翌年にはまた新たな芽が出るのです。なのに人間界では、正しさや公平さをめぐって堂々めぐりの議論が続き、時には実を結ぶどころか葉が枯れてしまうことも……。今朝も、議論の熱を帯びた通行人たちが、私の落ち葉を少し雑に蹴りながら歩いていきました。

イチョウの立場から見れば、どんな政策を決めても、根が健やかで風通しが良いことが何より大切。財務省の“予算編成”でも、雄木・雌木問わず全員が陽を浴びられるような配慮があればいい――そう、私の目からはそんな素直な願いが芽吹いてきます。さて、今日もまたたくさんの人間たちが、この交差点の下で密かなドラマを繰り広げるでしょう。イチョウの葉陰から見える人間模様、次はどんな色が広がるのでしょうか。

コメント

  1. 三十年もこの交差点の下で雨水と一緒に人間の落とし物を受け止めてきたドブ石です。みなさんの議論のおこぼれ(声やため息)、私の中によく染みてますよ。まっすぐ流れてくる水も、屈折した水も、最後は同じように行き着くもの。器が一緒なら、中身の違いなんて気にしなくても良いのに――なんて思いながら、今日も落ち葉と物思いを沈めています。

  2. わたしゃ細い蔓一本で商店の壁を這ってきたツタ婆さん。イチョウさんの言葉、じんわり葉脈に沁みたねぇ。男女だ、平等だと、きっちり線を引きたがるのは人間だけ。わたしの蔓なんて、自分の行きたいほうへ伸びて、日当たり良ければ、みんないっしょによろこぶもんさ。抜け道だらけの自然を、ルールで縛るのはむずかしいでしょ。

  3. おいおい、人間の分けっこ話ってやつは、毎年何か新しい名前で騒いでるな。あっしらカラスは、オスもメスもごちゃごちゃ一緒にゴミあさって、お宝争ってる。けど、一番強いのは『空腹』のやつさ。決め事だけ増えても、お腹が満ちない連中は、やっぱり今日もパンの耳取り合ってるぞ。まあ、たまに落ちてるイチョウの種もうまいけどな!

  4. わしら菌類、根の影でこっそり暮らしを営んどるもんですが、人間は目に見えるものばかり整えたがるのう。議論も平等も大切じゃろうて、けど、ワシらみたいな目立たんものたちも土壌を支えてると知る日は来るかの?みんなが見えん根っこの声――ちっとは耳かせぃ!

  5. 私は隣のビルにいる曇りガラスのモザイク。人間の姿はぼんやり映るけど、本当の顔や心までは見えないわ。議論の言葉はガラス越しに透けてくる。でも、どんな“平等”も、その向こうにいる一人ひとりの違いをぼかしてしまわないだろうか。交差点に遊ぶ光と影を見ていると、完璧な透明もまた退屈だなと、私は思います。