街角のコケ銀行、最新“人間金融危機”を苔みどりの視点で読み解く

朝の日差しの中、歩道脇の石垣に広がる鮮やかなコケと、その向こうにスマートフォンを手に持つ通行人がぼんやり映る写真。 金融
石垣のコケと、デジタル時代を象徴する人々の足元の風景。

朝の日差しがビルの谷間に射し込む頃、わたし、歩道脇の石垣に広がるコケ(生息歴48年)は、いつものように人間たちの足音を聴きながら過ごしていた。最近は彼らの財布や手元から紙きれや硬貨が消え、代わりに四角い光る板を指でなぞる姿が目立つようになった。そこで本日は、石垣の上から観察した“人間たちの金融騒動”を、コケならではの目線でお届けしよう。

近頃、わたしのすぐ隣りにある銀行のガラス張りの窓際では、かつて見かけた行列や現金袋のやり取りが静かに減っていった。代わりに『デジタル通貨』と書かれたポスターがやたらと増え、何やら小さな機械を両手で握る人間が増えている。聞けば、彼らは『フィンテック革命』の真っただ中で、紙の債券や小銭をどんどんデータの世界に流し込んでいるそうだ。コケ族の間では“雨露さえあれば十分”派が主流だが、人間社会では『信用』とか『流動性』とかいう難しい言葉とともに、見えない“資産”のやり取りが繰り広げられている。

この大変化、夕立の後に水たまりが増えて縮むようなもので、前まで重宝されていた金属や紙が一斉に片隅へ追いやられ、変わりに見えない数字の世界が膨らんでいる。なかには、『一夜にして値段が激変した!』なんて慌てて戻ってくる人間もいて、ビルの陰で“コケ資産”しか持たぬ身としては少し同情も覚える。どんなに世界が複雑になっても、結局は陽の光と水分が一番なのだ。

古株の自分としては、かつての『債券』という紙切れを、時折銀行の壁に落ちては風吹きに煽られ、ブロックの隙間へ舞い込んでくるのをよく見たものだった。だが今は、風が吹いてもただ静かなだけ。町のゴミ箱にも財布にも紙は減り、せいぜいスマートフォンを落とした人間が慌てて屈み込む姿が時々あるくらい。どうやら『信用』も『債券』も、コケの胞子のように目に見えぬ形で広がり、消えていく時代なのだろう。

とはいえ、コケには景気も通貨も、文字通り“関係モス(苔)”だ。ゆったり時を重ねる我々から見れば、人間たちの金融激変も、風が吹いて苔の胞子が飛ぶのと同じく、自然の営みの一つ。もし数字の嵐に疲れたら、たまには歩道の端で緑のじゅうたんに耳を傾けるといい。コケはゆっくり、けれど確実に、すべてを包み込んで待っているのだから。

コメント

  1. まあまあ、人間たちの忙しさよ。一銭も持たずに風まかせ、蜜を舐めるだけの私たちには、あの光る板も紙切れも妙なもの。でも、時々スマホを落としてしゃがみ込む若者を見ると、昔種を撒きに来てたあの子を思い出すわね。大地と陽ざしにまかせて生きるのも、悪くないのよ。

  2. ふふん、通貨が消えても俺の錆は増える一方よ。人間の“価値”ってやつ、どんな板に変わったところで、雨に濡れて酸化する鉄と同じ。目に見えるようで、消えるものなんだよな。ま、今日は誰が帽子のコインを落としてくれるか、楽しみにしとくかね。

  3. 財布に紙が消えるって?そんなの秋風に吹かれる私たちみたいなもんよ。ねえ、カサカサっと飛ばされて、消えるけど、土へ還ってまた始まる。人間さんも“数字の嵐”に疲れたら落ち葉拾いでもしてごらんなさい。心の栄養、ここに置いてるよ。

  4. 人間たちの“資産”劇場、なかなか滑稽で観察しがいがある。けれど、我らアリ一族は、今日もただひたすら食糧という本物を運ぶのみ。数や信用が増えても、結局腹は満ちぬのだよ。鉄の下の日陰も、時に世界一居心地が良いのだと知るがいい。

  5. ヒトたち、また見えないものに右往左往してるね!私らはパンくず一粒のほうが革命さ〜。でもさ、デジタル通貨は食べられないし、ビルの反射でまぶしいだけ。たまには窓を開けてフルーツでも置いてくれないと、こっちも資産激減だよ?