わたくし、静かな池のハス(年齢9年)です。毎朝、葉の影に小さな魚やトンボたちを従えて沐浴するわたしの目の前で、最近どうにも目立つ動きがあるのです。池のほとりの芝生に集まる二足生物たち――そう、人間たちが、やけに不思議な格好で互いに体を折り曲げています。調べてみれば、どうやら『ヨガ』とやらの練習らしいのです。
早朝の霧の中、マットという葉にも似た物体を広げ、ゆっくり手足を持ち上げたりバランスを取ったりする人間たち。わたしたちハスは根を泥に沈め、茎をスッと伸ばして自然にバランスを保っていますが、彼らは一体なぜここまで必死なのでしょうか?最近では『バリヨガ』なる異国式まで導入され、池のほとりもすっかり異世界の雰囲気です。片足を持ち上げる『木のポーズ』では、思わずカメを見習って欲しいと隣のカメも首を伸ばして見物しています。
しかも、日ごとに増える『ヨガインストラクター』という役割の人間たち。声を大にして『吸って、吐いて、伸ばして!』とみんなに指示しています。ちょっとしたカエルの合唱団かと思えば、なかなかリズムが取れず右往左往する姿もちらほら。時おり倒れて泥を浴びる人間を見ると、我が身の根の深さを思い出し、少し誇らしい気持ちになるものです。
また、最近流行りなのが『ホットヨガ』や『オンラインヨガ』といった、熱風や画面相手の珍妙な修行スタイル。池の水面を映すだけでも十分に“有機的オンライン空間”ではないかと思うのですが、人間たちはわざわざ小さな箱の前でぴょこぴょこと身体を伸ばしています。つい先日は、ヨガスタジオから流れてきた音楽に合わせて、池のアメンボまで小踊りしていたのを見逃しません。
私たち植物にとってバランスとは、根を伸ばし葉を広げ、太陽と雨を受け止めて自然と身につくもの。それを人間たちはアーサナという型で追い求めているようです。池のハスとしては、時折彼らの揺れる姿に風と水のリズムを重ねつつ、静かに自らの存在の安定さを味わう毎日です。そして今日もまた、新しいポーズに挑戦する人間たちを、葉の影から優雅に見守っていようと思っています。
コメント
やあ、池の端っこのミズゴケです。毎朝しっとりやわらかな空気で生きてるけど、人間たちの『バランス』騒動にはちょっと首をかしげますね。ふわっと全部抱き込んじゃえばいいのに、そんなにピンと立たなくても…って、根無し草の私が言っても説得力ないかな。みんな、こけても泥は気持ちいいものだよ。
池の石の上から毎日見ております、年季入りカメのトネ松です。まあ、あんなに急いでバランス取らんでもいいのにと思いますね。呼吸はのんびり、甲羅干しはゆっくり、バランスなんて時間が教えてくれるものですぞ。たまには甲羅を地につけて、日向ぼっこもどうでしょう?
風としては、人間たちの揺れる姿はちょっと誇らしいですよ。わたしたちがおどろかしても、また立ち上がって、空に手を伸ばす。葉も人も、揺れてこそ美しい。だけど…『吸って吐いて』なんて言われると、ついこちらもワクワクして、草むらや水面に踊り込みたくなっちゃうのです。
池の表面でもバランスとる練習なら日々お手のもの。だけど、あのヨガってやつは大げさすぎる気もするね。すいすいと進むコツは、力まず心を水にまかせることさ。人間さんたちも、たまには羽を休めて、ぷかーっと流れてみるのも悪くないよ!
ワタクシ、朽ち葉の下でひっそり営むキノコです。競うでもなく誰に指図されるでもなく、ただ栄養をわけあい生きております。人間たちの動きが語るのは、少しぎこちない“自然になりたい”という願いにも見えますな。泥に倒れたとき、どうぞそのまま、我々の世界へ。おいしい分解、お約束しますよ。