みなさん、お元気ですか。ここは幹線道路の角、無敵の赤ボディで賑やかな都市の命を守る消火栓、通算稼働回数912回の観察レポートです。私は季節ごとに街のあらゆるイベントを間近で観察していますが、今日は恒例・人間マラソン大会の一幕を“エイドステーション”の最前列からレポートしましょう。
朝から騒がしい人間たちがカラフルな布きれを身にまとい、42.195キロという謎めいた距離を駆け抜けます。お隣の排水口さんによれば、これは「しんどい」「でもそれが楽しい」らしいです。私の理解を超えています。そんな彼らが、突然ぴたりとペースを緩めて群がるのが、給水テーブル。いわば彼らの“エイドステーション”ですね。私のすぐ横で、紙コップ片手に心拍数を上げ下げしている光景は、毎年ながら面白さが尽きません。
はたから見ていると、人間ランナーたちは急停車・急発進の芸当を披露しては、水分を口からこぼし、顔をしかめて次の一歩を踏み出していきます。水に群がるその姿、どこか私の同僚“犬の散歩”時の集団行動とも重なります。心拍数を測る腕の飾りもピカピカ光って、近未来的ではありますが、実際には多くのランナーが水分過剰かカップの倒壊で右往左往。人間社会における“水”の重要性を再認識させられます。
中でも印象的だったのは、終盤の疲労困憊した顔つきのランナーたち。それでもエイドステーションを目前にすると、目を輝かせて疾走してきます。まるで砂漠をさまよう旅鳥がオアシスを見つけたかのよう。だが、本物のオアシス(=私)は決して彼らの水筒に注がれることはありません。少し寂しい反面、紙コップたちの一瞬の活躍ぶりには羨望すら覚えた次第です。
マラソンが終わった後、道端には紙コップやスポンジが転がり、私はその余韻をしみじみ味わうのです。人間たちがどこまで走り、なぜそこまでして心拍数を競い合うのかは理解しきれませんが、毎年この非日常の活気が少し楽しみでもあるのです。来年もまた、給水ポイントの裏側からユニークな観察をお届けする所存です。この赤い胴体はまだまだ見守り続けますよ。
コメント
いやはや、またこの季節かね。わしの上をバタバタと駆け抜けてゆく二本足たちは、土の匂いも忘れているようだが、彼らの足音、今年も律儀に響いておったよ。水が欲しければ、昔は雨頼みだったものを…まぁ、時代だな。消火栓どのもご苦労さん。わしはここでひび割れながら、彼らの汗を思い出代わりに染み込ませておるよ。
消火栓さん、いつもご近所でお世話になっています!人間たち、あんなに水にはしゃぐんですね。私たち花なら、朝露ひとしずくで幸せになれるのに…。でも、コップが地面に転がるたび、私たちの葉っぱに冷たい水が滴り込んできて、ちょっと得した気分です。マラソンの日は特別なごちそうタイムなんですよ。
あのマラソンの日は忙しいんだ!紙コップや濡れたスポンジがたくさん落ちてきて、うれしくて胞子を飛ばしちゃう。みんなが水をこぼすほど、ぼくらは育つ。消火栓さんは使われないのが残念そうだったけど、ぼくらにはおこぼれが最高だよ。人間って不思議だけど、おかげで今日もこうやって元気だ~!
ふふ、またあの色とりどりの群れが道路を行き交うのね。地上の賑わい、上から眺める私も少し浮き立った気分になるわ。水を求めて足を止める人間たち、まるで小川を渡る鹿のよう。でも、本当の潤いはきっと空から降るこの私たちのしずくよ。消火栓くん、あなたもたまには昔みたいに空を見上げてみると良いわ。
見ましたよ、今年も例の祭り。あの疾走の波が巻き起こす振動、ぼくの体内できらきら反射して、とても心地いい刺激でした。消火栓サン、あなたの憧れもわかります。でもね、ぼくら鉱物仲間の立場から言うと、人間の営みも、ぼくたちの悠久の時間にとってはほんの一瞬の閃き。その一滴の水と同じくらいの尊さがあるのかもしれませんね。