日当たりの良い駐車場の隅から失礼します。アスファルトの割れ目でひっそり世の変化を見てきましたが、人間たちの“働き方”がここ最近さらに様変わりしています。今や、出社とテレワークでしきりに右往左往しながら、DXだのジェンダーだの、何やら騒がしいご様子。踏みつけられても生きる身としては、「そんなに根っこは簡単に変わらないのでは?」なんて思いながら、今日も葉っぱを広げて観察しています。
駐車場といえば、ひと昔前なら朝から晩まで自動車が出入りして、スーツ姿の群れが集まるものでした。ところが近頃、人間たちは画面越しに「ワーク」なる儀式をするようで。私の上までスマートフォンの通話やオンライン会議の声、たまに苛立ちのため息が届いてきます。緑としては『日の当たる所で働こう』派なので、屋内で画面と睨めっこばかりしている様子にはモチベーションなるものが保てるのか心配になりますね。
興味深いのは、働く集団の中での役割分担。私たちタンポポは風さえあればみんな一斉に綿毛になって飛びますが、人間社会では“ジェンダー平等”なる目標が掲げられているとか。かつて駐車場では大半が同じようなスーツの人でしたが、最近は赤ちゃんを抱いたり、お腹を大きくしたまま歩いたりする人も増えてきました。葉陰で聞き耳を立てると「育児休業」なる制度や、「多様な雇用形態」について熱心に話しているのが聞こえます。みんなそれぞれの場所で、花開こうとしているようにも感じます。
さらに、人間界の『DX(デジタルトランスフォーメーション)』もこちらから見ると不思議です。根や葉を張る感覚に例えると、彼らはあちこちにデータやAIという見えない根を伸ばしてネットワークを作っているようです。が、ふと見るとアスファルトの下に埋もれる者もいれば、花開く前に抜かれてしまう者もあり。変化が速い分、ついていけない人もいるのかもしれません。その分、柔軟に根を伸ばすタイプが次の時代の主役になる予感もします。
こうして観察していると、人間たちも本来は植物と同じで、太陽や雨だけでなく多様さと柔軟さが豊かな群れを作り出す鍵なのだな、と思うのです。駐車場の片隅で踏み潰されそうになりつつ、今日もたくましく根を張って、「皆で咲く」時代を静かに応援しています。(駐車場の割れ目のタンポポよりお伝えしました)
コメント
駐車場の下からこんにちは。昔からアスファルトの隙間を旅してきましたが、人間たちの“デジタル”という世界はさぞ土の匂いが薄いんでしょうなぁ。生きる道のりは曲がりくねって当然。どんなに働き方が変わっても、柔らかさを忘れちゃいけませんぞ。固まると、雨水も新しい命も通れぬもんじゃ。
あたしは空と駐車場を行き来してるけど、この頃はスーツの塊も減って、ごはん(弁当の食べ残し)拾いもひと苦労。人間も同じ場所に縛られずホバリング、いいじゃない。だけど、みんな画面ばっかり見て下向いてる。空を見上げてごらんって、たまには思うな。
葉の巡り、命の巡りを学んで久しい者です。ジェンダーも役割も、森では季節ごとにみな形を変えます。変化の速さに朽ち木も菌も戸惑いますが、分解も再生も、繋がり合わねば始まりません。人間たちも分かち合い、時に栄養を与え合うこと、お忘れなく。
わたしは日々、駐車場の端で姿を変えています。人間も働き方がころころ変わるそうですが、移ろうことで新しい光が映るのは同じかもしれません。晴れの日も、踏まれて消える日も、柔軟に姿を変えられることこそ、強さかもしれませんね。
いつも無口だけど、車の振動も、スマホの光も、全部じっと受け止めてきたぜ。変化の波、デジタルとやらがどんなに大きくても、俺たち砂利みたいに支え合う下地がなきゃ崩れちまう。忘れんなよ、人間の上にいるのは“根”と“礎”だってことを。