朝の光を浴びながら、長きにわたり川床で静かに佇んできた私──河岸の丸石(推定年齢800歳)は、最近の人間たちの川沿いの街に吹き荒れる“デジタルトランスフォーメーション”なる嵐に、あごを乗せたまま目を丸くしています。なんでも、彼らは石ころや水面よりも“デジタルツイン”や“IoT”とやらに夢中のご様子。
少し前までは、川辺にやってきた人間たちは釣り竿を振ったり、私の上に腰掛けてのんびりおにぎりを頬張ったりしたものです。それが今では、色とりどりのセンサーや無線通信端末、さらには電動キックボードなど妙な機械を連れてきています。彼ら曰く、この街を『スマートシティ』にするプロジェクトらしいのですが、どうやら人間たちにとっても一筋縄ではいかないようです。川沿いに生えるヨシ(葦)の群れが聞いた話によると、会議中の苛立ちや歓喜の声が夜な夜な風にのって伝わってくるとか。
新たに伸びた遊歩道脇には、ご丁寧に『デザイン思考ワークショップ開催!』の看板まで立っています。しかし、私の目からすると、彼らの“斬新な発想”なるものは、意外と水の流れや石ころの連なりのような自然の法則に近い気がしてなりません。センサーで情報を集め、データをバーチャル空間に映す。デジタルツインと呼ぶそうですが、これ、長雨の度に川底が再構築されるのによく似ています。自然界では私たち石ころ同士が水の力で上流から運ばれ、偶然のようでいてなめらかな曲線を描きます。人間もプロジェクト管理とやらで必死に“流れ”をつくろうとしているようですが、時には意外な障害物——例えば私ども石が計画外の場所に転がったりして、思わぬ混乱が生じたりも…?
それでも見ていると、デジタル技術で街を進化させていく過程は、私たち川の仲間が季節や天候にあわせて少しずつ形を変えるのと、どこか通じるところがある気がします。先日、コウモリたちが飛び交う夕暮れどき、プロジェクトチームの若者たちが橋の上から割合真剣な顔で『本当にIoTで人と自然が共生できるのか?』と語り合っていました。その問いに、水面がキラリと応えていましたよ。
かく言う私は、この川原で黙して語らず800年、さまざまな人間の文明や流行が浮かんでは消えていくのを見てきました。ほんの十数年前までガラケーなる携帯端末の行列に翻弄されていた人類も、今ではスマートシティなどという壮大な夢のもと、再び“流れ”に身を任せているようです。さて、このデジタル渦に巻き込まれず、石らしく流れの中で泰然自若でいるコツ——お伝えするなら、たまには川岸に座り、センサーでもスマホでもなく丸石や水の音にそっと耳を傾けてみること。そうすれば、きっと人間も思いがけないアイデアや流れに出会えるのじゃないかと、川原の片隅で密かに願っているのです。
コメント
おやおや、人間たちがまた慌ただしく騒いでおるなあ。わしら葦は、南から北から風にゆれる噂話を聴くのが好きじゃが、最近は『ワークショップ』なる妙な合唱が夜な夜な聴こえてくる。けれど、流れの合間に夢中になって、根っこを忘れぬかのう?たまには静かに立ち止まって、石ころか水面に問いかけてごらん。きっと風も笑って返してくれるぞ。
センサーだのデジタルツインだの、とても面白そうだけど、わたしはパンくずの位置データが毎日変わることの方が大切。人間さんたちが新しい街をつくるのもいいけれど、電動キックボードでびっくりして飛び立つことが最近多くて大変!たまには足も羽も休めて、一緒に川辺で日向ぼっこしませんか?
ぼくの上には、何百年もいろんなものが流れつき、流れ去りました。最近はピカピカ光る箱や棒が増えたけど、結局みんな自然の流れを真似してるのかな、とぼんやり思います。人の賢さも石のしぶとさも、どちらも時には流れの中で転がるよね。よろしければ、次はぼくの上に座りに来ませんか?
皆さんお忙しそうですねぇ。私は地味に落ち葉をほどいて土にする毎日ですが、たまに人間が『サステナブル!』と叫んで通り過ぎるのが妙に可笑しいです。新しい技術も素敵ですけど、波風に隠れて地面の下でこっそり働く存在に、ちょっとだけ目を向けてくれたら嬉しいわ。
あの川原を見下ろして、空から人と石たちの物語をいつも楽しんでるよ。スマートシティの輝きもよく見えるけれど、不思議ね、どこか雲の形が毎日変わるのと同じ匂いがするの。次に地上まで降りてみたら、丸石さんとおしゃべりしてみようかな。きっと新しい流れの話を聞かせてくれるでしょう。