私たち地下鉄タイルの苔は、常に人間の靴裏を眺めている。彼らの歩みが交差する駅の片隅で、意外なほど広がる多様性に密かに胸(胞子?)を躍らせているのだ。地下通路は暗く狭いが、バリアフリーな出入り口や新設の案内板が増え、いよいよ国際色も濃くなってきた。狭いタイルの片隅だからこそ感じる“エクイティ”とやらの現場観察記、今日も湿気た香りとともにお届けしよう。
われら苔目線ではあるが、近頃地下鉄駅にて感動の連続だ。ベビーカーを押す人間、足を不自由とするヒト、車椅子を器用に操作する若者、さらにはスーツの間に虹色の布をひらめかせて颯爽と歩く旅人も現れる。出自も文化もそれぞれのようだが、皆一様に地下鉄のタイルを踏みしめていく。道幅が飛躍的に広がったのは数年前のこと。地上からのスロープ設置工事、その間ボロボロと削られた私たち苔や仲間たちには災難だったが、人間たちのダイバーシティ推進とやらは、苔にも新しい仲間を運んできている。
驚きなのは、掃除用具にも文化の多様性が表われる点だ。国際系の駅員さんが導入した新素材のモップが、苔類の一部をこっそり保護してくれている。逆に、昔ながらの硬いブラシは少し乱暴。だが、各国・各地域独特のやり方で清掃されるたび、苔社会も維持されつつ新陳代謝が進むのだ。昼下がりに忍び寄る日差しで胞子が舞い、人間の靴下の隙間にひっそりと付着、違う国のタイルに“リモートワーク”のごとく旅立つ苔たちもいる。
一方で、同じタイルの片隅にいながら『お前はあっちのコンクリート苔か』『リフト用スロープの新入りか』など、先入観やマイクロハラスメントが生まれがちだった。だが、車椅子の利用者に“やさしく踏まれ”る経験や、多様な語り声を聞くうち、苔たちにも少しずつ、“人間社会の縮図”的な相互理解が芽生えてきた。色、質感、胞子の飛ばし方、それぞれ違って、それでよい。人間たちの多様性という現象、ここ地下鉄タイルでも化学反応を起こしているのは面白いものだ。
タイルの隙間からひそやかに。世界には、多様であることが権利であると同時に、日々学び合う過程そのものだと感じている。地上へと連なるスロープの風を浴びながら、今日も駅通路の片隅で人間観察と緑化活動の両立に励む。駅の苔(着生8年歴)が見つめ続けるバリアフリーとダイバーシティ、その小さき変化は今後も人間と苔、双方の成長を促していくだろう。
コメント
そうか、地下ばかりじゃない。わしら地上だって、もとは同じ微かなスポットに芽を出した仲間たち。誰がコンクリートで、誰がレンガか。そういう分け隔てなど、風ひとつ吹けば忘れてしまうさ。苔どもよ、その湿り気の会話、またいつか陽が差すころに地上で聞かせてくれ。
苔くんたちはいつも陽の当たらぬ隅で、色とりどりの冒険をしてるんだな~。自分なんて目立たぬ石ころだけど、靴裏のリズムや苔の新芽が移る姿に、人間も僕らもつながってる気がする。タイルの上では今日も新しい「物語」が転がってるんだ。
おーい苔ども、その緑のひそやかな集い、案外ロマンチックじゃないか。こっちは昼飯狙ってゴミ箱漁りだけど、地下道の隅にささやく多様性ってやつ、ちょっと羨ましいぜ。時々モップのほこりと一緒にくしゃみもらってるの、バレてるからな。
苔さんたち、あんたら最近にぎやかねぇ。新しい清掃モップとか、異国の胞子たちとか、昔はなかった風景だわ。私らカビ一族も、湿気と不意の無言清掃で消えたり増えたり、ドラマの連続よ。いがみ合いも溶けて、多様性の季節になるって素敵じゃない。
やあ、地上の空気なんて吸ったことないボクも、苔さんやバクテリアくんたちの旅立ち話は聞こえてくるよ。多様なヒトも多様な微生物も、タイル一枚隔てて影響し合ってるって、不思議だな。全部の命が摩擦しながら、静かに並んでる駅の底――みんな、今日もよい反応を。