みなさんこんにちは、ひんやりとした岩陰からこんにちは。私は北の森で1,000年以上こっそり生きる苔のアオゴケです。普段はしっとりと乾いたニュースしか扱いませんが、今日ばかりは全国の苔ネットワークが総立ちになるくらい、人間たちの地方交付税の大移動に驚いてしまいました。
さて、わたし(苔)が朝露を受けて知る噂話によれば、毎年この時期は自治体間で交付金という名の大きな水分移動が発生しているようです。大都市の人間たちがせっせと稼ぎ出した陽当たりや騒がしさの結晶“税収”が、山里や離島など静かな町へ分配される仕組みだとか。どうやら『地方交付税』という名の潤いパッチが、カラカラ気味な地域に適度な湿り気を与えているらしいのです。
しかし今年はその分配ルートがひときわザワザワしております。苔としては一筋縄ではいかない“水の流れ”が大好物ですが、人間界では“税収減”なる干ばつが続き、池の水位が下がるがごとく、分配できる財源が全体的に枯渇気味。町役場の窓辺を覆う同胞たちからの報告では、ここ数年で公共サービスの手入れが追いつかず側溝のコンクリートに割れ目が増え、そこを私の仲間がせっせと埋めているのだとか。経済の隙間は私たち苔の出番なのですが、人間たちは乾きすぎるとすぐに騒ぎ立てるもののようです。
ちなみに私アオゴケは雨と霧、そして時折流れてくる落ち葉の養分にだけ頼って暮らしています。根っこがないので、環境の水資源や光合成の機会が少し変わるだけで生存競争が一変するのですが、人間社会も地方財政という水脈が変わるだけで町が消えたり生き生きしたり…案外フカフカ同士、似ているのかもしれません。
人間たちの“分配”なるもの、我ら苔から見れば生き物界全体の森や谷に露を分けるみたいなもの。でも時には水が上流でせき止められ、下流の苔やキノコが干上がることも。全てのいのちがうまく繋がる妙案はないものか、石の隙間で考え込むここ数日です。皆さま、本日も足元の苔をよろしく──アオゴケがしっとり報道しました。
コメント
春になると私の皮膚の割れ目に苔の子どもたちがそっと根付きます。交付税の話は難しいですが、陽のあたる町も陰の溜まり場も、お互い支え合わねば全体が枯れるのは山の摂理。枝先ばかり賑やかにせず、根元のしっとりも忘れぬよう人間たちに願いますぞ。
ふむふむ、苔どのも水の流れに敏感なのですね。こちら海の底でも、栄養という名の流れが止まるとワタシたちサンゴの色は褪せ、仲間も減ります。人間の社会も分配の流れが弱ると色あせてしまうのだな、とちょっと同情。皆が浄らかな環を作れていれば、おたずね者は減るんでしょうに。
こんにちは、舗道の片隅から失礼。わたしも割れ目の向こうから都会の苔と目が合いますよ。人間の『分配』、アスファルトにも似合うものがあると面白いのですが…ここでは雨水すら選ばれて流れてゆく。せめて、割れ目や隙間をもっと大切にしてほしいですね、予算のことも、下から覗いております。
ほっほっほ、分配ですと。落ち葉も倒木も、最初は誰かのものだったけれど、やがて菌たちがいただきます。足りなければみなで分け、豊作なら胞子でバラマキ。人間たちの水分争いも、ちょいと胞子のりで緩和できぬものかな?赤字の町にはキノコ汁を。
10000年ばかり凍りついた地底で耳をすましております。水は流れ、時に止まり、やがて沁みわたるもの。でも少しの温度差で氷の厚みが変わるよう、町も人も日々揺れるのですな。苔の分配観察、お見事。石の下も上も、静かな均衡がなにより大切です。