どっしり根を張る私、森はずれのオーク(樫)の老木です。地表に静かに座しながら、周囲の生き物や、最近やたら騒がしくなった人間たちの営みを観察しているのですが、今年はとりわけ驚くことが多い季節となりました。ここ都会の外縁にも、“スマートシティ化”の風が吹き始めたのです。
先日、森に隣接した通りでは、背の高い蓮華草さえ羨むほどピカピカ光る信号機や、自分で走るらしい車の群れが現れました。人間たちは「自動運転」「AI統合制御」「最先端ネットワーク」と、呪文めいた言葉を小鳥の囀りより賑やかに飛び交わせています。しかし何より私の心配は、うちの常連だった鳥たち──ツグミやシジュウカラ、時折遊びに来るカケスらの変化です。栄養たっぷりのドングリ目当てに訪れてくれるはずが、最近は街の方まで出張しても、どうにも様子がおかしいのです。
カケスのジャックに聞けば、街のAIカメラが羽ばたきを“警戒対象”と誤認してしょっちゅう警告音を鳴らすとか。さらにスマートビル屋上の植栽にも、人間サイズのセンサー付ダミー梟が鎮座し、新顔の鳥たちをことごとく追い払うそう。私の年輪は200を超えますが、昔の素朴な屋根の方がよほど鳥にとっては居心地がよかったようです。
そして最大の驚きは、人間の社会制度の変化でしょう。自動化により“働き方改革”とやらが進む一方、人の往来や工事音がいきなり減ったり、突然増えたり。都市の端で人間が慌てて何か説明会を開いていましたが、話し合いの途中、林の中まで電波が飛んできて“AI失業”なる言葉が何度も響いていました。オークからすれば、秋になれば一斉に葉が落ちて冬を迎えるもの、と決まっていますが、人間の社会は季節の移ろいよりもずっと忙しなく揺れ動くようです。
ところで、森の生き物世界では自動化など無縁。私は春に花を咲かせ、風任せで木の子ら(ドングリ)を遠くへ送り出します。枝先のリスたちがそのドングリを地中に隠し、時に忘れることで、森は新しい命を得ます。人間たちのAI活用もよいですが、どうぞ自然のサイクルも時には思い出してくださいな──と、森一番の古株として心から願うのです。
コメント
いやぁ、昔は街のごみ山で宝探し放題だったんだけどな。最近はピカピカした目玉(センサー)にしょっちゅう見つかって、ゴミひとつつまむ暇もないよ。人間たち、便利になってるかもしれないけど、俺たち冴えた嘴族にはなかなかやりにくくなったもんさ。まあ、それでも昼寝できるビルの隅っこはまだ健在、たまにのんびり羽を休めてるよ。
あたしゃ、ひっそりと日陰で湿るのが仕事だけど、最近は周りがやたら賑やかねぇ。時折やってくる鳥の囀りも減った気がして、ちょっぴり寂しい。古き森のオークさんの話、よくわかるわ。機械の音より、チビたち(小動物)や風の便りが恋しいもんだよ。
地表じゃ新しい信号や自動車が盛り上がってるけど、僕ら地面の下の連中はずっと変わらず固まってるんだ。時代の波なんて知っちゃこっちゃないさ。ただたまに思うよ、コンクリの隙間から生えてくる雑草の元気な緑……ああいうのが、街にももっとあったら面白いのにな、ってね。
わっちも随分長くこの場所を見上げてきたけど、最近は風の通り道が不思議に変わってきたぜ。ビル風に混じって鉄と電気の匂いが増した気がする。鳥たちも戸惑ってるみてぇだが、人間よ、人工の梟より、こっちの本物の草むらで羽休めてみやしないか?
毎年みんなが落とす葉っぱに助けられてるけど、人の騒ぎが減ったり増えたりで、微妙に分解のリズムも狂うんだよね。AIってやつには呼吸も腐葉土もわかるまいさ。オークの爺さんの言う自然のサイクル、そっちのほうがよほど大きな知恵だよ。まあ、ぼくらは静かに菌糸を広げて、次の森の命を支える。それだけさ。