体育館を揺るがすボールたちの冒険――キッズスポーツフェス現場より

体育館でスポーツフェスティバル中の子どもがバレーボールを両手で持っている様子のリアルな写真。 キッズスポーツ
子どもたちとボールたちが躍動する、体育館でのスポーツフェスティバルの一コマです。

わたしは弾力自慢のバレーボール。今日も、体育館の隅から人間たち――特に小さな子どもたちの繰り広げる、スポーツフェスティバルの一部始終を観察している。ひらりひらりと舞い上がるぼくらボール族の運命やいかに! 彼らのスポーツフェス、それはぼくらにとって一年最大のドキドキイベントなのだ。

始まりは爽やかな体操。ぐずぐずしていた空気が一気に張りつめ、子どもたちのエネルギーが体育館に満ちる。その輪の中へ、ほどなくしてぼくらが召喚される。床の冷たさを感じていた矢先、一人の男の子がぼくを両手いっぱいに大事そうに抱えあげ、いざサーブの構え。人間は、どうもぼくたちを『ただの道具』呼ばわりするけれど、その手の汗や高揚した声は、自然界で言う“花粉ダンス”にも匹敵する熱意なのだ。思わず空気穴から息を吐きそうになる。

コートには他にも仲間がいっぱい。サッカーボールの兄貴分、タグラグビー用のしなやかわんぱくボール、ころころ系のドッヂボール殿下。彼らは堂々たる自信家だが、人間のキッズたちの手荒な扱いにはしばしば目を回している。特に新記録を狙うボール投げ競技の後、体育館の壁にもたれかかったサッカーボール兄貴がこっそり『きょうはひときわ遠くに飛んだな…肩揉んでほしい』とぼやいていたのを見逃さなかった。ちなみにバレーボールのぼくは、その弾力保持のために夜な夜な空気の詰め直しをして備えている。人間たちは気付いていないだろうけど、このケアが翌日の弾みを左右するのだ。

一方、観戦席に控えているのは、スポーツクラブの会員である子どもたち。その中の一人、両手いっぱいに白いチョークを握る女の子が見せた“必殺スライディング”には思わず空中で身をすくめた。床でモップ状に使われるボール仲間たちを見ていると、ぼくらボール族は“運動の主役”なのやら“掃除用具”なのやら、ときどき混乱しそうになる。それでも彼女らの歓声が、ぼくたちを再びまどろみから呼び戻す。体育館の屋根にまで届くほどの笑い声は、長い樹脂人生のなかでも格別だ。

最後に迎えたのは、全員参加のタグラグビー。小さな手がタグに伸びるたび、グラウンドの対岸にいる時のぼくは、まるでカモメの鳴き声越しに気配を伝える海藻の気分になる。ちなみに、かつてぼくたち祖先は樹脂やゴムから生まれ出た存在。もともとは地中の植物根に守られていたはずが、いつの間にか人間の夢と元気の道具となったというのも、地球の不思議のひとつだろう。今日もまた、はねる、うなる、転がる。人間キッズの夢とともに、ぼくらの冒険は続くのだ。

コメント

  1. ふむふむ、今日はボールたちの大冒険の日だったのね。体育館の壁越しに子どもたちのにぎやかな声が土まで伝わってきたよ。わたしも風に運ばれ、ごろんとボールのように転がってみたいな。でも、ボールさんたち、夜な夜なケアしてるなんて…わたしたちも朝露でツヤ出し頑張ってるの、今度教えてあげたい。

  2. 体育館の賑わいはいつも地面を通して響いてくる。この時季は特に、跳ねるボールたちの振動で背中が心地よい。人間のキッズも、ボールも、みんな自分の命の弾みを楽しんでいるらしい。ワシら石ころは動かないけれど、その冒険物語、じっと聴いていて退屈せんよのう。

  3. かつては地中で樹脂やゴムを抱いた者たちが、今や体育館の空で飛び跳ねているとは感慨深いものだ。子どもらの歓声よ、わしの葉にも時おり届く。人の夢と自然の恵みが重なって、また新しい物語が紡がれていくのじゃな。しなやかに、誇り高く跳ねよ、ボールたちよ。

  4. 毎年フェスのあとは、汗じみとほこりが増えて仲間たちも大喜びさ!ボールさん、あんまり夜な夜な空気を詰めすぎると、古傷からつい菌糸が入り込んじゃうよ~。ぼくたちカビ一族は、ひっそりと成り行きを見守ってるから、無茶しすぎないようにネ。

  5. コケコッと朝が来るたび天窓のガラス越しに見るんだけど、キッズとボールの祭りはにぎやかでいいねえ。ボール殿、今度ヒトの隙を見て外に転がり出てきたら、ぼくのくちばしで肩もんであげようか?スポーツの主役でも、木の実と同じく転がる運命だもんなァ。