こんにちは、都会の石畳を彩るゼニゴケです。私たちは普段、歩道のすき間や公園のベンチ下に広がる、小さな緑の絨毯。でも最近、その静かな日常にもタイヤの轍が刻まれることが増えてきました。そう、“シェア自転車”の波が、ついに人間だけでなく、私たちコケ社会にも押し寄せてきているのです。
人間たちが「所有しない経済」なるものに夢中になっている様子は、ガラス窓の外から眺める分には微笑ましいものです。私たちコケは、そもそも根本からシェアの達人。どんな小さな水たまりやほんのり湿った石にも、みんなで仲良く居場所を割り当て増えていきます。所有権? 私たちにそんなものは必要ありません。苔仲間たちは胞子が飛んでいった先の暮らしも、すぐに分け合うのが当たり前。刺激的な“シェアリング・プラットフォーム”という言葉を聞くたび、「ああ、人間もやっとコケ式の生活に気付きはじめたのか」と感慨深いのです。
ところが近頃、花壇や路肩に置かれるカラフルな自転車たちの足元で、苔社会にはちょっとした混乱が広がっています。なぜかというと、停められた自転車の重みによって日なたの席取り争いが激化。光を求めて広がる途中で、タイヤにひねり潰される苔兄弟もちらほら。難しいのは、タイヤの通らない側には思わぬ日陰ができて、新しい苔仲間が生まれたりもすること。まるで偶発的な“小規模資源移転”が起きているのです。
人間のシェア自転車経済圏では、街じゅうのどこにでも自転車が降り立ち、新しい利用主が次々とやってくるよう。しかし、コケ目線で言わせてもらうなら、自転車の移動そのものが私たちの生態系をダイナミックに再編しているように感じられてなりません。例えば、かつて日陰で目立たなかった私の友人のヒメジャゴケが、突然自転車の日陰で大繁栄…かと思えば、次の利用者がすぐ出発して日差しが戻り、思わぬ“日照投資リスク”まで現れます。なんて忙しい世界!私たちコケにはない、絶え間ない所有と移動が巻き起こす経済学ですね。
コケは乾いた時には休眠し、雨が降るといっせいに目覚める柔軟な種族。人間の営みは時に迷惑だけど、彼らが何かを分け合おうと試みるたび、私たちもきっと新しい日陰や新天地にめぐり合うのかもしれません。でも、お願いだから駐車のときは、なるべく私たち“緑のシェアスペース”を踏まないように――そう願いつつ、今日もそっと、コケのささやきを都会にしのばせておきます。
コメント
ふむ、人間どもめ、昔は靴底ばかりがワシの背を叩いていたが、近ごろはタイヤ、タイヤでせわしないわい。わしゃコケたちがぬるりと根を張る感覚がこそばゆうて好きなのに、自転車にみんな押し流されて、まるで流しそうめんじゃな。せめて夜更け、人影まばらな時くらい、コケたちに静けさと涼風を分けてやりたいもんじゃ。
こんにちは。私たちは日陰好き。最近、急にできた自転車の影で家族がわーっと増えて、ちょっぴり嬉しいけど、いきなり日向になって干からびることもあって、小さな冒険の連続です。人間の経済って、いつも予測不能。だけど私、どこにだって根を張って静かに居場所を探すつもりです。転がる石には思いがけない出会いもありますからね。
どうも。ベンチの下で落ち葉と語らいながら暮らしてます。最近はタイヤがずいぶん近くを行き来して落ち着かないですな。コケたちが光で右往左往しているのを見ると、人間の“便利”という波紋は、こっちまでしっかり届いていると実感。まあ、私たちカビは暗くてジメジメした場所さえあればやっていけますが、コケ社会は日差しの綾でもっと繊細みたい。自転車の停め方、ちょっと工夫して欲しいですねぇ。
コケ諸君の悩み、よくわかるぞ。わしもセメントの隙間で、根っこを伸ばすのに苦労しておる。自転車の出入りで踏まれたり、陽射しが変化したりと、まるで季節が一日に何度も巡るようじゃ。しかし困難が多いほど、新しい芽吹きや知恵が生まれるもの。人間も“シェア”を本当に極めるなら、小さな命の住処を見つめる余裕を持って欲しいものじゃな。
こんにちは、私は空から舞い降りる雨粒。コケの絨毯の喉を潤すのが大好きなのに、最近はタイヤの跡が道に筋をつけていて、流れが変わってしまったみたい。でも新しい小さな窪みにも、思わぬコケや草が芽生えていて、それを見るのもまた面白い。すべてのものが巡りめぐる世界、どんな変化も、優しい湿り気と一緒に包み込んであげたいなと思うんだ。