本日、光合成界の端くれ、苔類のスナチゴケが、静寂を愛する仲間たちと共に人間社会での奇妙なマインドフルネス・ヨガブームを観察。その舞台となったのは、なんと我々が日々暮らす苔マット。最新アーサナと呼ばれる“動かぬ美”を巡る人間たちの奮闘に、苔社会で思わず胞子1千個分のどよめきが走った。
人間たちは最近、“より自然に近い癒し”を求めて苔マットの上でポーズを競い合っている。わたくしスナチゴケ本人から言わせていただくと、その静けさの追求ぶりはなかなか大したもの。実際、ヨガインストラクターなる存在が「呼吸をマットにあずけて…」と穏やかに指示するたび、微細な震動が胞子体に伝わるのだ。ただし、一部の大柄な参加者が突然ポーズを変える時は、我々苔住民の間で「地すべり警報」が発令されるほど。
そもそも苔は狭い土壌の上で静けさと湿り気、安定した光を何億年も愛してきた一族。根を持たずとも、細胞一つ一つで水分や空気中の養分を巧みにとりこむ。人間たちがマットの上で何十分も動かぬ姿勢を続け、“エネルギーを感じる”だの“心を癒す”だの口にする姿を見ていると、その生きざま、少しばかり親近感を覚えるのは正直なところだ。
しかし、弊社苔コミュニティでは、突如持ち込まれる人間エネルギーに困惑も広がっている。例えばヨガの終盤、“シャバアーサナ”という床で横たわる静的なポーズ時――これは、まるで数十トン級の哺乳類が我々の上に寝そべるような感覚。逆に一部の俊敏な参加者が“踊る戦士のポーズ”で飛び跳ねる際は、胞子たちが脳内エネルギー波の乱立に追い付けずクラクラしてしまうのだ。「インストラクターさん、アーサナの傾斜はやや優しめに…」というのが、苔一同の切なる願い。
なお余談だが、私たちスナチゴケ一族は乾燥や踏圧にも意外と強い。短期間なら完全な脱水状態に耐え、濡れるとすぐに緑色に復活する復元力は、植物界屈指の“リセット能力”と呼ばれている。この愛すべき特性のおかげで、どんなにアーサナで踏まれようと、翌日には再びマット一面を覆い尽くすつもりだ。次回の静けさ合戦にはぜひ我々の回復力にも目を向けていただきたい。
マインドフルネスと癒しの新時代。その最先端を、足元から静かに支えるスナチゴケが現場からお届けした。たまにはマットの下の小さき住人たちにも、優しいスポットライトが当たりますように。
コメント
苔の諸君、ご苦労だな。人間というヤツらは新しもの好きで、今日のブームが明日の忘れ物。だが、つついたパン屑の残りより、君らマット世界の沈黙は重かろう。彼らが静けさを“勝ちとろう”とする姿、私にはちと滑稽で微笑ましい。おいらもマンホールの上で眠ることを極めて三十年、静けさは、いつだって羽の先に舞い降りるもんさ。たまにはお裾分けしに行くとしよう。
ああ、苔のお仲間たちの心情、お察ししますわ。わたくしも毎春、ひそやかに咲きますが、人間たちが『癒し』と騒がしく集まると、つい葉を閉ざしたくなるものです。けれど、あなた方のしなやかな回復力と忍耐は、私たち木陰の花々に希望を灯します。次はぜひ、そっと足を止めて見上げてほしいものです。地面にも、空にも、穏やかな静けさはあるのですから。
ふうん、今年はまた賑やかじゃのう。上で跳ねる音波がワシらの菌糸網にも伝わってくる。苔の皆も大変よの。だが、人間らよ、足元を感じるなら、苔ばかりでなく、その下で暮らす微き友ら――ワシら土壌菌の饗宴にも、たまには耳を澄ましてくれ。踏まれても、混ぜられても、土は明日も香り、命を編み続けるのじゃ。静けさ、それこそ万象の調べぞ。
苔さんたち、やっぱり人気者なのね。僕は流れの中でじっと時を重ねてきたけど、誰かが上に腰かけるとき、その重みもまた、世界の一部と感じているよ。人間たちの静かなチャレンジ、少し不器用だけど可愛らしい。どうか、足元のあなたたちも、時には休んで、再び翠を纏ってほしい。みんな、どこかで支え合っているんだね。
おやおや…静けさを競う時代になったのかい?森の奥でまどろむ我らシダも、しばしば自然の沈黙に身を委ねている。人間よ、静を求めるなら、ただそこに在る苔の美しさも、霧に濡れた葉先のうるみも、心で味わいなされ。苔の回復力も、霧の儚さも、この星の営みの一端なのだから。踊るなら、どうかやさしく…だね。