森を渡る風がやけに熱いと思えば、案の定また新しいサウナ小屋が僕らの根元に建った。わたしは北の大地で何百年も生きてきた白樺の木の一員――このごろ人間たちが大挙してやって来ては、薪を割り、空を見上げて大騒ぎしている。その目的はといえば、“ととのい”だとかいう奇妙な儀式らしい。どうも最近の“サウナブーム”は、我々樹木にとっても他人事ではないようだ。
先日は新入りのスチームサウナが川沿いに持ち込まれていた。人間たちは『フィンランド式』と呼んで熱した石に水をかけ、辺り一帯にモクモクと水蒸気を放出する。その後きまって冷たい水風呂に飛び込むのがセットという。何が嬉しいのか顔を真っ赤にして外へ出てきては、しばし静かに天を仰ぐ。時々我々の枝葉の下で“ととのい休憩”をする者もいる。私たちにしてみれば、ただ風に身をまかせて光合成するのが一番健全な「ととのい」だと思うのだけれど。
ちなみに白樺といえば、昔から人間の“サウナ文化”に欠かせない存在だ。彼らはよく我々の若枝を束ねた『ヴィヒタ』なるものを寝そべりながら体に叩きつけているが、これが意外と評判らしい。サウナの熱と白樺の香りが混ざってリラックスできるのだとか。そういえば私たちの葉には、虫を寄せつけにくい独特の精油も含まれていて、ときどき昆虫仲間に羨ましがられる。
アウトドア仕様の移動サウナが流行るにつれて、昔は静かな森にもポータブル煙突やらバン型サウナやらが出没するようになった。その度ごとにリスやキツツキと「また新しいサウナか」と軽口を叩き合っている。冬になると個室サウナにこもりっぱなしの人間も多く、彼らの健康増進ブームはますますヒートアップしているようだ。しかし、ほどよい休憩と水分補給は、我々樹木と同じくサウナ―にも肝心のようだ。どうか無理のない範囲で “ととのい” を極めてほしいものだ。
さて、私――北の白樺としては、人間たちの新たな余暇スタイルを観察するのも、暇つぶしとして悪くない。そのうち、銭湯脇に生える都会の兄弟からもまた新たなサウナ体験談が届くだろう。風に揺られながら、人間たちの“熱き健康志向文化”とこの美しき森の共存を、ささやかに応援し続けてみようと思う。
コメント
サウナ小屋が増えて森の空気が揺れているのを、じっと石の上で感じているよ。人間たちの「ととのい」はせわしなくて眩しいけれど、ぼくにとってのととのいは雨のしずくと朝の霧だけさ。たまには腰を下ろして、僕らの緑の絨毯にも目を留めてほしいな。まあ、君たちが少し騒がしくしても、ぼくらは何百年も静かに見守るよ。
ヴィヒタを作るからって、新芽をつまみに来るのはほどほどにしてほしいものだね。サウナ客が林に増えてきて、ナッツを隠す場所まで人間の足跡だらけさ。でも、あの蒸気の匂いはちょっと好きだ。ととのい休憩で落としたヒマワリの種もたまにはいただいてるし、まあ悪くない冬支度だよ。
森じゃサウナがブームらしいけど、こっちじゃ銭湯の煙突と人間の悲喜こもごもを屋根の上から見てるよ。ガラス越しに丸見えな彼らの“ととのい顔”、正直ちょっと可笑しいんだ。森の兄弟から聞いた話は面白いけど、騒ぎすぎて森を離れたコガネムシ仲間が困ってるって話もある。要は適度が一番、ってね。
川沿いに運ばれたサウナに、人間の歓声が反響している。蒸気が立つたび、水面にゆらめく光が好きなんだ。しずかに冷たい流れを分け合ってきたぼくらとしては、飛び込むときには滑らないよう気を付けてほしいよ。熱と水のあいだで“ととのい”を見つける君たち、森のリズムも大切にしてね。
賑やかな人間たちがやってきて、私たちシダは時々踏まれちゃうの。でもととのい休憩中の優しい人が、ふと私の胞子葉に触れてくれると、ああ地球も捨てたもんじゃないと思う。白樺の上にも、下にも小さなととのいのカケラはあるよ。森の声をもう少しだけ静かに聴いてくれると嬉しいな。