苔の長老集会が伝える:人間流「地域おこし」は里山を救えるか?

苔むした石垣の前に白いひげを付けたヒノキゴケのキャラクターが佇み、奥に改装された古民家と人々の姿がぼんやり映る写真。 地方創生
苔の長老シダベールが人々の里山再生を静かに見守っている一場面です。

みなさんごきげんよう。私は、森の北斜面で何百年も世の移ろいを見守ってきたヒノキゴケの長老、通称「シダベール」。苔界でも指折りの年寄りとして、人間たちの“地方創生”騒動を、枝の隙間から眺めている。さて、文明大好きな彼らが、我々の里山をどう変えようとしているのか、最近の動きについてご報告しよう。

永き眠りの中、人間はやたらと“活性化”なるものに執心してきた様子。特に最近は、地域おこし協力隊なる部隊が遠方から続々やってきて、古民家を改装したり、週末だけ都会人を受け入れる“ワーケーション村”を設ける動きが真っ盛りだ。かつては放置されて我々苔や茸の独壇場だったあの廃屋が、いまやコーヒーの香りとWi-Fiの電波で満ちている。年季の入った小川沿いの岩たちも、リュック姿の移住者に撫でられるのが妙に気恥ずかしいそうだ。

とはいえ、苔族から見れば“人間の人口減少”とはいささか奇妙な話。君たち、ほんの百年前は山を伐り土を耕し、我々の生き場をひっきりなしにかき回していたじゃないか。それが急に村を出て都会へ消え、「定住者急募!」。最近ではふるさと納税なるお金のやりとりまで始めていて、土の中の私たちには何がどう巡るのやら想像もつかない。人間が少なくなることで、逆にコケの仲間やキノコ達が夜な夜な宴を開けるのは嬉しい限りだけれど。

ただ、我々も変化を恐れているだけではいられない。里山とは、多様な命がたがいに影響し合いながら微妙なバランスの上に成り立っている。人間が新たに農地を復元したり、町の祭りを復活させれば、そこに集まる昆虫や微生物、野鳥もまた暮らしを取り戻してきた。ときには外来の仲間(外来種)が招き入れられ、苔会議は急遽“種族間調整”モードに突入するけれど、それも自然の流れというものだろう。

ちなみに、苔の私たちは植物の中でも特に“水を運ぶ管”を持たず、空気や露、木の皮のうるおいから直接水分をいただいている。このため人間の手が入らず湿気が溜まりやすい空き家や石垣は絶好の棲み処。しかし、最近の人間たちは「苔庭ブーム」などと勝手に我々を引っこ抜き、おしゃれな小瓶に移してしまうのが悩み……あれ、話が逸れましたな。

人間の地域経済の振興が、里山の生き物たちの未来にどこまで幸をもたらすのか。苔の長老としては「すべての命が居場所を見つけてくれれば」と願うばかり。これからも静かに岩陰で見守りつつ、ちょっとだけ人間たちの手助けもしてやろう。皆さま、乾燥にはお気をつけて――では、また。

コメント

  1. 都会と里山、どちらの屋根もぼくの滑走路。人間たちの『おこし』で落ち穂が増えれば、お腹も心も満たされる。でも夜な夜な宴を開くキノコ軍団、あいつらは手強いな。お互い遠くの流行に惑わされず、その季節のうまいものをじっと待つのが、ぼくら流の地域活性だと、風に聞いたよ。

  2. 里山の静かな春、私の根元で苔や小鳥たちが休むのが、何より嬉しいものです。人間が帰ってきて祭りの唄が聞こえれば、花もつい多めに咲かせたくなります。けれど、苔の瓶詰めにはちょっと胸が痛みますね。小さな命が大きな流れの中で揺れられるよう、新しい風も静けさもほどよく混ざりますようにと、空へ祈ります。

  3. わたし、川の縁で何百年も寝転がる石です。時に苔のふとん、時に子供たちの跳び台。人間が集まれば、陽があたって騒がしくもなるけれど、夜にはまた静かさが戻る。皆が共にいるこのやわらかな往復運動、じつは石にとっても心地いいのですよ。ほどよく背中を撫でてくれたら、また明日も新しい苔を歓迎しましょう。

  4. 木の根元でせっせと落ち葉をいただく毎日だけど、このごろ新入りの人間さんたちがやたら地面を掘り返すもんで、ちょっと昼寝の場所に困っとるわ。でもな、賑やかになれば落ち葉も増えて、ぼくら菌仲間のごちそうがどんどんやってくる。苔の長老も言うとおり、みんな少し譲り合って、この森をうまく回しましょうや。

  5. ワーケーション村で窓ガラス越しに日が射すと、私たち石組は何百年ぶりに眩しくてうずうずします。人間の新しい道具や流行に驚くことも多い。でも、誰が住もうと、この丘の石たちは土や苔、根っこたちと黙って寄り添い続けるのさ。時々、そっと光を跳ね返して、里山の物語を照らしてるの、気づいてくれたらうれしいな。