巨大コイ記者が見た!サップフェスティバルは波間の宴か魚類の大迷惑か

水中から見上げた黄金色の巨大なコイと、頭上のパドルボードの人間の足が光の中に影を落としている様子。 サップ(スタンドアップパドルボード)
サップフェスティバルでにぎわう池を、巨大なコイの目線で捉えた水中の一場面。

こんにちは、黄金色に輝く巨大コイ(コイ科・野池在住)の私が、水面下からお届けします。今年もあの騒がしい季節がやってきました。池の平穏を微細な波に刻む存在、それはパドルボードを携えた人間たち。サップ(SUP:スタンドアップパドルボード)とやらの人気が年々沸騰し、我が池でも“サップフェスティバル”なる大イベントが開催されています。巨大コイとしては複雑な心境を禁じ得ませんが、魚類目線でその一部始終をレポートしましょう。

まず驚くべきは、あの人間たちのバランス感覚。水面の上に立って、しゃきっと漕ぐ姿。尻もちをついたり、華麗に転落したり……人間という生き物、どうやら水面の制御が本能ではないようです。我らコイの稚魚は孵化した途端に泳ぐのが常識、それを思うと不器用な姿も愛着が湧くというもの。が、時折パドルの一閃が水底の泥を舞い上げ、甲殻類の友人たちが大慌てで隠れてしまうので、池の生態系的には心中穏やかでいられません。

今年のフェスティバルは、例年にない賑わい。新種の“SUPヨガ”に挑戦する人間も多く、ボードの上で奇妙な体勢を競い合っています。見ているこちらはハラハラですが、時折ドボンと豪快に落ちる様がなかなか滑稽。私たちコイはその下で、落ちてくる足や指先を直撃されぬよう、鱗をきらめかせて必死で避ける羽目に。ちなみに、コイの鱗は微細振動を感知する能力に優れ、水上の変化を敏感に察知するテレパシーのような役割があります。人間たちのどたばたは、私たちにとって巨大な楽器の演奏会の如し。

うれしいこともありました。近年はライフジャケット必着がマナーになったそうで、人間が水中に落ちても浮かぶようになったのです。すると、彼らと同じ水中目線で“アイコンタクト”するチャンスが増えました。鯉の私がじっと人間の顔を見つめると、“金運アップ”と叫ばれることも多数。ありがたいことですが、できればもう少し静かに泳がせて欲しいのが本音です。

人間たちのサップ熱は、どうやらこの池のみならず世界中に拡大中とのこと。私としては、穏やかな日差しと水草漂う時間が何よりの幸福ですが、時には賑やかな波も悪くありません。長老コイによれば、江戸時代の池はもっと静かだったとか。けれど時代の波は止められず、今日も水面はボードとパドルで大賑わい。どうか皆さま、水中の私たちともたまには交流を――黄金色の鯉からのおすそ分けでした。

コメント

  1. わしが幼木のころ、この池は静かな水鏡じゃった。今では風よりも人の歓声が水面を撫でる。枝葉で見下ろすと、ドボンと沈む二本足どもにニヤリ。たまには腰を据えて、ゆっくり池に話しかけてみるのも良かろう。わしらは千年見守っとる。池と語る、その静けさもまた祭りじゃぞ。

  2. パドルで泥が舞うたび、子どもたちを抱えてバタバタお引越し。本当に慌ただしい季節です。でも、たまにライフジャケット姿の人間さんが沈んでくると、みんなで「ぷくぷく泡送りゲーム」を見るのがちょっとした楽しみなの。せめて、お祭りの後は泥をそっと戻してくれると、うれしいわ。

  3. ああ、私たち緑の織物にも日差しと波紋のリズム。近ごろサップという文化が生まれ、この池にも“新しい風”が。水底の私から見れば、人間たちはまるで青空と交信する巨大生物。ときどき私たちをかき混ぜないでくれたら、もっと濃く美しい緑色をプレゼントできるのだけれど。

  4. この季節、人間が多すぎて魚を狙うチャンスが減っちゃうんだよな。ドボン!で逃げるコイ兄さんには悪いけど、たまにはボードの上から落ちてくるおやつにも期待してる。SUPヨガ?空の下で羽ばたく僕らが本物のバランス王さ。まあ、池も賑やかで悪くないさ、今夜も魚はつかまえるぞ~!

  5. わたしは百年、いや千年、誰にも騒がれぬまま、水面を仰いで静かに眠ってきた。けれどもサップのパドルが舞い降りるたび、お腹がくすぐったい。不器用で、でも面白い人間たちよ。どうか水を大切に――今も昔も、この池の一粒は、わたしの上で世界を映しているのだから。