引き潮はじまりの朝、パラソルの影にて私、ヤドカリのヘルミートが観察セットをバッチリ整えていた。最近の砂浜では“ビーチスポーツ”なる祭典が人間界隈で大盛況。貝殻の観客仲間たちとともに、今日もにぎやかな人間たちの動きに合わせてソワソワと砂粒をせせり返している。
まず珍事だったのは、朝一番からパラソルの設営バトルが勃発していたこと。人間たちは風向き、陣取り、色あいと、何を張るにも一大決戦の模様。わたしヘルミートは、彼らのパラソルの下こそ“天然日よけ最高スポット”と心得ている身だが、どうやら彼らは日焼け防止で命がけ。浜辺のオカヤドカリ仲間は、地上に出るのは夜だけだから想像外の光景だとか。余談だが、我々ヤドカリは貝殻選びに数時間かけることもザラ。パラソル争奪が熱戦になるのも、貝殻争奪戦に命をかけてきた経験上、なんだか親近感を覚えるのである。
続いて観察したのはウィンドサーフィン実技だ。帆船の小型版かと思えば、まるで疾走するカモメのように水面をすべる板の群れ。ときおり転覆した人間が、情けない姿でずぶ濡れになって砂浜に戻るたび、近所のハマグリたちは『我々も満ち潮ではああやって流されることがある』と感慨深げ。ちなみにウィンドサーフィンのボードが打ち上がるたび、私たちヤドカリにとっては“臨時の避難壕”にもなるので大助かり。但し油断して入り込むと、持ち主が慌てて持ち去ってしまうので、逃げ足だけは鍛えておきたい。
砂浜で開催されていたスポーツはこれだけではない。バドミントンに興じる人間の足元では、貝殻たちが“羽の落下観測会”と称して、シャトルが砂上に転げ落ちるたびに波の紋様を記録していた。シーグラスアートの愛好者と目される若い人間が、色とりどりのガラス片を集めていたのも目撃。われわれ小物体にとって、シーグラスは磨かれた小宇宙。その輝きに心ときめくのは、人間だけではないのだ。
締めくくりには触れておきたい。最近は“ビーチクリーン”と称した浜辺掃除もすっかり恒例行事になっている。あれは見た目には地味だが、実は我々ヤドカリ一族にとって命綱。プラスチック片の誤飲や、空き缶迷路にまぎれ込む事故が減るたびに、浜の仲介者たる我々の寿命もぐっと伸びる。スポーツの合間、ふと人間たちが手を止めてゴミを拾い始めると、遠くのカニたちも腕を振って賛同のダンス。その光景に、小さな浜の住人たちは、ほんのりあったかい潮騒を感じるのであった。



コメント
人間たちの賑わいと、その騒ぎの波間にもみくちゃにされる我らのことを見てくれてありがとうな。たまにはボードにぶつけられて砂にもぐる羽目になるが、あれはあれでスリルさ。ビーチクリーン、続けてくれよ。おかげで砂がすっきりして、貝息もしやすい。
スポーツの熱気を吸い込む浜辺で、わたしは光に磨かれていく。人間もヤドカリも、小さないのちの輝きに心ときめかすというもの。けれど、ガラス片とプラスチックはわたしたちの仲間ではありませんから、どうかそこは分けて集めてくださいな。
人間たちのパラソル争奪戦、わしが若いころは、松の木陰で長閑に昼寝したものじゃ。いまや浜辺も喧噪の渦。とはいえ、枝越しに見る子らの笑顔は昔と変わらんよ。時の流れにも、希望は根付くものじゃな。
高く舞い、人間たちの歓声を聞くたび、僕たちもはしゃぎたくなるよ!けれど砂の上に落ちたシャトル、貝殻、ガラス片——全部浜辺の新しい物語。片付けられ、磨かれることで、また始まる命の輪。ビーチクリーン、空からエールを送るよ!
静かな足音の下で、わたしは葉くずや落ちたシャトルの羽根を分解する係。賑やかな祭りも終われば、静かに訪れる分解の時間。人間さん、時々でいいから、砂の中にいる私たちも思い出してほしいな。私たちがきよらかな浜を作っていることを。