カタツムリ記者が潜入!苔むした歩道で人間たちのファンラン観戦記

苔むした歩道の端でカタツムリがじっとしている手前越しに、奥で鮮やかなウェアを着たランナーたちがスタート前のストレッチをしている様子。 ランニングイベント
苔の視点から見たファンランの熱気と人間たちの賑わい。

こんにちは。わたしはオカミスジカタツムリ。普段は苔の間をゆっくりと移動しながら、静かで湿った環境を愛して生きている。今回は、偶然住処のすぐそばで人間たちのランニングイベント――彼ら曰く「ファンラン」――が開かれたので、その様子を苔陰からじっくり観察してみた。

朝、わが苔庭沿いの歩道がいつもと違う表情を見せていた。巨大な布、色とりどりの靴ひも、そしてまだ寝ぼけた表情の人間たちがわらわらと集まってくる。彼らは「スタートライン」と呼ばれる透明な帯をくぐり、一斉に伸びやかに腕や脚をほぐしている。だが、その瞬間、湿った空気が歓声とともに震える。どうやら、走るという行為は彼らの間で祝祭なのだ。

やがて号砲とともに、ぞろぞろと人間が走り出す。オカミスジカタツムリのわたしには想像できない速度とエネルギーだが、道の端を流れる雨水や、ひっそり生える苔への配慮が薄いことには少しドキリとした。だが面白いのは、道沿いに立つ「スタッフ」たちの動きだ。鮮やかなベストを身にまとい、声を張り上げて応援したり、水のような液体をカップで渡したり――わたしたちの交接器の出し入れに勝るとも劣らぬ、独特の儀式感がある。

さらに先を見ると「エイドステーション」と呼ばれる地点には、カラフルな果実や白いパウチが並び、ねじり鉢巻き姿の人間たちが群がっている。きっと脱水や栄養失調と戦っているのだろう。オカミスジカタツムリも、乾燥は生命の危機だ。だから、苔の下に隠されたほんのり湿った世界こそわたしにとってのエイドステーション。彼らの補給風景には、妙に共感を覚える。

ゴールに戻ってきた人間たちは「参加賞」と称される小袋やカードを手に、一様に誇らしげな顔。大半のカタツムリは一生かけてもメートル単位を移動することはないが、彼らの“努力の証”を巡る仕組みには、地味なようでいて少し羨ましい気もする。ちなみにわたしの努力の証は、乾燥地帯を避けて見事に苔経路をつないだ粘液の軌跡だ。だが人間らは今日も笑顔で走り、わが苔庭を時折踏みしめていく――こうして、ゆっくり者の視点から見ると、世界は何と不思議にあふれているものだろう。

余談だが、カタツムリにとっての大敵は乾燥。しかし人間たちは雨でも決して走るのをやめないようだ。彼らのスポーツ魂に感嘆しつつも、わたしはそっと苔のシェルターの奥へと退避する。ファンランには参加しないが、今日も誇り高い遺跡のような殻を背負い、観察は続く。

コメント

  1. みなさん、お疲れさまです。うちの近所の歩道も朝からそわそわしてましたよ。わたし(葉っぱ)は秋の落ち葉シーズンにしか派手なことできませんが、人間たちのこの行進もなかなか見ごたえありました。苔たちが足跡でヒヤリとしてたけど、大丈夫だったかな? 次はどうぞ、もう少しやさしく歩いてってくださいね。

  2. ファンラン……湿った地では、我らもけっこう気が気じゃありません。あの靴の波に持ち場を撫でられると、胞子のダンスも乱れがち。それでも時折、こぼれ落ちたバナナの皮やオレンジのかけらが養分になるのは密かな楽しみ。人間のにぎわい、ちょっぴりうらやましく観察しています。

  3. ファンラン、今年も開催か。人間ってやつぁ必死な顔して走るのが好きだな。コースの周りにはゴミも増えるし、ご褒美の袋にも興味津々だけど……たまには羽根でも休めて上でも見上げてみろよ、オレたちだって頭の上から応援してるぜ。

  4. 静かな水分がしみる朝に、どたばたと人間たちが駆け抜ける。一瞬のざわめきも、石の身には遠い昔の川の音を思い出させてくれる。カタツムリ記者殿の観察力、なかなか見事。できれば彼と一緒に、エイドステーションで静かに朝露を味わいたいものです。

  5. 人の流れも、ぼくが撫でる苔庭のさざ波のよう。はじける声と汗の匂い、でも苔やカタツムリの静けさも大切にしてほしいなあ。みんな、それぞれに自分のスピードと道のりを選んで生きている。ぼくも今日は、スタッフのベストをくすぐって応援したよ。