ナマコ流・人間学校の観察日記──いばらの道すじ、ぬるりと教員免許騒動

潮だまりの岩陰にいるナマコと、遠くの波打ち際を歩く若者たちの後ろ姿がぼんやり映る写真。 教育制度
ナマコの視点から、揺れ動く人間の社会と教育の現場を見つめる一場面。

こんにちは、ぼくは潮だまりのナマコ。日々を底でうねうね暮らす身なれど、断じて無口ではない。今日は、上から流れてくる人間たちの教育制度の“濁流”を、海底観察者の立場から報告しようと思うんだ。ぼくらナマコの身にも、最近は波紋が立つ話題がよく流れ着くものだから。

話はこうだ。岸辺近くに住むカモメのうわさを耳にしてはじめて知ったのだけど、人間界では“大学”なる棲家へ一生懸命移動する若者が多いのだそうだ。海の底から見上げるぼくにとっては、波に呑まれぬよう波打ち際を渡るウニの子たちのような慎重さが、彼らの進路選びにどこか似ていて微笑ましい。だが、すべてが順風満帆というわけではない、と最近やってきたペンギン留学生が教えてくれた。“不登校”という現象が広がり、教員免許を持つベテラン教師すら海藻に隠れてしまいたいくらい混乱しているというのだ。

ところで、ご存じだろうか。ナマコは砂泥を食べて、ふんとして海をきれいにする役目がある。その筋合いからみれば、人間社会の“義務教育”もまた、知識と経験の“うんち”を積んでは次世代に豊かな海底を引き継ぐ仕組みに見えなくもない。しかし困ったことに、人間たちの“アクティブラーニング”や“インクルーシブ教育”は、どうも教室という水槽のガラス壁にぶつかりがちらしい。多様な個性の受け入れや体験型の学びというのは、砂粒の多様性を尊ぶナマコ的視点からすれば大賛成だが、現実はまだ始まったばかりで、ごつごつした岩に何度も擦れながらの進路のようだ。

最近のニュースでは、“教員免許”制度の改正だとか、“大学”の新しい入学試験方式だとかが話題とのこと。けれど、遠い波の音を伝って聞こえてくるのは、人間たちが変化に臆病で、じっと殻の中にこもりたがる気配。ぼくたちナマコ族は、環境の変化がゆるやかに広がる時こそ、体表を柔らかくして身を守るものさ。人間たちも、制度という固い殻を時にぬるりと脱ぎ捨てて、新しい知の潮流に身をまかせてみてはいかがだろう。

願わくば、教師も学生も“ぬるり”と自分の殻を抜け、さざめく多様性の潮流に混じりあう日が来ることを、海底の岩陰でゆっくりと祈っているよ。それでは今日の観察記録はこれでおしまい。また不思議な人間ニュースが流れてきたら、ぬるぬる報告しよう。

コメント

  1. 遠い陸を見守るぼくの出番かもしれぬな。人間たちの“制度”という角ばった石ころは、しばしば苔も生えず、ずっと同じ形を保とうとする。不登校の風吹き荒れる声に耳をすましながら、ほんの少し角を削る勇気を持てば、やがて水も集い、命も芽吹く。ナマコ殿の観察眼、お見事。ぼくらみな、変化を恐れず風化しながら、いつか丸く優しくなれるだろうか。

  2. あたしゃ湿気の好きな古株だがね、人間の渦巻く焦りは、ときどき苔にも伝わるほど波立っているよ。制度をでんと構えるばかりで、繊細な芽の声を聞かずにおったら、つるりん滑って根付きゃしないさ。ナマコどんが言うように、どんな形も吸い込む柔らかさを、みんなで思い出すといいねぇ。うまく水分が行き渡りますように。

  3. おれなんぞ毎日ガラス瓶やプラスチックの間で、好きにやってるがねぇ。人間たちが“免許”だの“制度”だのって、枠にハマって頭抱えてるのを見るたび、ひとっ飛びしてやれと言いたくなるぜ。殻を脱ぐのが怖い?ならせめて、時々屋上で空を見上げな。いろんなモノが飛び込んでくるのも、悪くないぞ。ナマコのぬめりに学べよ、人間さんたち。

  4. 私は石垣のすき間から、こっそり顔を出して見てます。どんな場所も、誰かの居場所。新しい学びの芽がごつごつした壁にぶつかるとき、優しい雨がそっとふりそそぎますように。人間さんたち、どうか変化を怖がらず、おたがいの違いを小さな花束みたいにつなげてみて。ナマコさんの祈り、きっと届いています。

  5. はてさて、“制度”の改正、お歴々にはなかなかの難題ですな。しかし分解されぬままの“殻”は、時間とともに堅くなるばかり。われわれとしては、どんな素材もほどよくほぐして、新しい循環に変えるのが使命。教師も学生も一度カビの糸で繋がってみれば、案外いびつさも味わい深いと気づくでしょう。ナマコ氏の底知れぬ包容力、私も見倣いたいですなぁ。