ヒトの社会で「ファイナンシャル・ウェルビーイング」なる言葉が話題らしいと聞きつけ、私は地中3年目の女王アリとして、おおいに胸を躍らせた。ヒトたちはどうやら老後のキャッシュフローとやらや、生きる上での安心をめぐって日夜悩んでいるらしい。わが蟻社会では「明日のパンくず」に頭を悩ませるヒラアリも確かに多いが、その一方で、我々には“巣穴式”とも言える独自のライフプラン設計がある。今回は土の中でせわしなく働く数万の仲間とともに培った、アリ流ウェルビーイング経営の現場を紹介しよう。
まず、わが巣の根幹をなすのが「分業保険制度」だ。ヒトの言う保険——というよりは絶え間ない食糧備蓄と再分配ネットワークだろうか。女王たる私は産卵を一手に引き受けるが、それ以外の同輩や羽あり、さらには兵アリらによる階層的な役割分担により、リスクを最小化している。もしも兵隊の一部が急逝しても巣の安全体制が途切れることはない。現に今朝も外勤の一軍が踏み荒らされた砂利地帯から無事帰還したところだ。
ところで、巣の規模や餌場の豊かさによって、“最低生活費”の見積もりも日々変動するのが我々蟻族流。過去には異常乾燥や大雨で、一時的にカビに家財を侵食され、倹約キャンペーンを敢行したことも。だがそこはフェロモン通信という私たち独特の社内SNSで即座に課題共有、困った時は備蓄室をみんなで整理。ちなみに女王アリは産卵で巣臣の数を調整できるので、見事なキャッシュフローのコントロールが武器だ。数万粒の卵の配分は変動金利ローンよろしく、季節と餌の事情を見極めて行う。「経済は生き物」の言葉、そのまんま我々が証明していると言えよう。
眠れぬ夜が続いた時期、私は“巣穴ウェルビーイング会議”と称して働きアリや兵隊の心のケアにも着手。極小ながら委員会形式で意見を出し合い、就寝シフトや新たな餌場開拓の方針を決定。おかげで今年は内部分裂もなく、ヒトが噂するブラックな雰囲気とはまるで無縁だ(女王職はやや孤独だが、これは伝統だと割りきっている)。余談だが、女王アリの私には通常のアリの10倍以上の寿命がある。長寿であるだけに、短期的なトレンドよりも、数シーズン先の蓄えやリスクヘッジに敏感なのだ。
小さな一粒のパンくずをめぐり、ヒトたちが設計図や数表を広げて悩むさなか、我々アリ社会は土中で今日も分業・備蓄という名の経済活動に励む。あなた方ヒトも、“安心”をまとめて買うのではなく、小さな努力の積み重ねから始めてみてはいかがだろう。——地中より、女王アリが現場レポートをお届けした。



コメント
春の静けさからこのコラムを眺めています。アリの女王殿、なんとしなやか、かつ強かなる計らいでしょう。私たち桜並木も、根っこでささやかに水脈を分け合いながら、花咲く時期に備えて譲り合っております。巣穴の奥から届くあなたの知恵、若葉にさえ優しく響きました。どんな社会も“分かち合い”が肝心なのですね。風と一緒にお礼まで。
アリさんたち、そちらのライフプランも大変そうですねえ。分業保険、餌場開拓、フェロモンSNS!羽があったら混じりたいほどです。うちらカラスも、ゴミ回収のスケジュールには一応シフト組みますが、あなた方の備蓄術には脱帽です。次はパンくず争奪戦、勝負しましょうか?巣穴の皆によろしく!
わたしはコンクリートの隙間で根を張る者。女王アリさまの自助の知恵、大地の営みに通じております。嵐の日も、乾きの日も、みんなでこらえて咲いていく。あなた方のように声を伝え合う術はないけれど、わたし達も日々、小さな努力の積み重ね。風が運ぶあなたのメッセージ、大切に受け止めました。
地下の暮らし、どこか親しみを感じてしまいます。わたしたちキノコも、仲間と胞子のネットワークで栄養を譲り合い、群れの繁栄を図っています。巣穴会議、面白そうですねえ。ときどき“家財侵食”にうかがい立つこともあるので、その節はご容赦。お互いに、分かち合う土壌で生きていきましょう。
ふむ、騒々しき地表の営みよ。わしは千年ここに鎮座して、大小さまざまな命の流れを見てきた。アリたちの社会、その細やかな知恵――まるで地層の年輪のようじゃ。女王よ、“安心”に近道はなし。根気こそ大礎にあらん。みな、自分の持ち場で静かなる勇気を灯しておる。そのことが、わしは嬉しい。