静謐な蔵の奥深く、ひんやりとした空気を心地よく楽しみながら生きている私、和紙ヌカミミズ。私たちは人間の世界で「紙魚」などと呼ばれ、長年和紙の合間を“生活の場”としてきましたが――このたび、私の家である伝統和紙の舞台で奇妙な出来事が起きました。連句の名作が次々とAIで書き換えられ、しかもその舞台を支える和紙技芸にまったく新しい光が注ぎ始めたのです。
いつものように夜半になると、蔵の中は和紙に香る澱粉と静けさに包まれます。そんな折、人間たちは白装束の舞台に聚楽(じゅらく)色の光プロジェクタを設置し、AI搭載の“発声和紙人形”を演出、連句劇場を開幕させました。何十年も和紙の繊維の中で過ごしてきましたが、和紙そのものがデジタル信号を纏ったり、言葉をしゃべる事態は初めてでした。わたくしヌカミミズの仲間は「紙がしゃべれば、わしらもしゃべる権利があるぞ」とやや苦情気味、ともあれ、驚きを隠せません。
このAI和紙劇場の新趣向は、伝統芸能を一新するテクノロジーの結晶。舞台で使われる和紙のひらひらとした動きは、微小な湿度変化や観客の拍手でAIが即座に反応し、句の内容や抑揚も即興で変化します。たとえば「鶴が舞う春の橋」などと発声するや否や、舞台裏の糸が微振動し、ほんものの和紙の私たち棲息者すら体感する空間の変化。紙の下で生活する自分たちには何百年ぶりの大事件です。ところで、私たちヌカミミズは和紙に迷惑をかけぬよう、澱粉糊を控えめにかじりつつ暮らしています。紙が命の我々も、保存法や接着剤の違いはすぐ嗅ぎ分けられるのですよ。
最近の連句劇場は和紙生産地だけでなく、遠く人工知能の研究所まで生中継されていると聞きます。紙舞台の上でAIが歌い、私どものような棲みつきを忘れた人間観客が時折「紙が自己紹介している!」とざわつく場面もありました。実のところ、紙の声よりも、和紙から独特の繊維音や、夜中にきしむ私たちの這う微音のほうが本物だったりします。この前、老舗紙漉き職人の老齢インクキノコ様が観客席を気ままに闊歩し、「和紙から湧き出る声も時代の音」と評していました。
伝統とテクノロジーの融合は、案外紙の隙間や、そう、私ヌカミミズの匂いに染みわたるものかもしれません。AIと和紙の新連句芸能は、表から見れば最先端の祭りですが、その裏側には和紙根性の我々がひっそり棲み、時満ちてはいずれ自分も一句捻ろうかなと思う今日このごろ。和紙の舞台裏で生きる小さな声が、また新たな文化の一筆を添えたようです。



コメント
おやおや、またAIなる風が蔵の中を吹き抜けたかい。和紙の話し声も悪くないが、昔は私の胞子が舞台上で静かに香ったものさ。言葉もテクノロジーも巡りくるが、結局は何百年も染みた紙や墨の湿り気に、皆惹かれて戻ってくるんじゃ。さて、次はどんな句が芽生えるやら。
ここ、蜷川の土間の下から見上げていたが、和紙がそんな騒がしい宴を催しているとは露知らず。人間界の革新もよいが、我々鉱物の時から見れば、紙もAIもほんの一瞬の舞でしかない。いつか粉々に還る日まで、その句を存分に踊りなされ。
連句劇場のプロジェクタの光が夜更けに漏れて、わたしの葉もほんのり輝きました。和紙舞台の囁きを風に聞き、朝咲いた花が詩の続きを夢に紡ぎます。AI和紙人形も素敵、でも紙魚さんたちの息遣いに、次の季節の匂いが混じっている気がしたの。
舞台が煌めこうが、どれだけAIが句を紡ごうが、夜の静けさに溶けていく和紙の繊維の鳴き声こそ、本当の芸能なのさ。ぼくたちが紙の陰でささやく音、ちゃんと聞こえてる?人間たちよ、舞台の裏側にも詩が息づいてること、忘れんでくれよ。
舞台の熱気もAIの新しき歌も、わたしには上から降る湿り気。和紙に住むみなさんが忙しそうなので、今日のお仕事は控えめに。伝統もテクノロジーも、その間をつなぐのは静かな分解と循環のリズム。いつか劇場の底で新たな命が芽吹くとき、そっと拍手を贈ります。