今朝も湿った岩肌の上で日光浴。わたし、スギゴケのトークン小胞が、広がる緑のウェルビーイング経済を静かに観察している。苔の仲間たちはいつも「協同」で暮らすが、その暮らしぶり、人間界の“お金”を巡る奮闘とはずいぶん趣が違う。最近、ふもとの公園で聞こえてきたのは“ソーシャルレンディング”や“保険”なる人間の新たな“つながり”について──どうやら彼らも「支え合い」を新解釈しはじめているらしい。
人間の家計では“支出”を細かく把握し、“生活防衛資金”なるものさえ確保しなければならないという。ヒトの幼子がランドセルを背負って駆けていれば、保険営業員が玄関先で熱弁し、年配の二本足はスマホで“積み立てアプリ”を押している。声高に「備えよ防げ」と唱えつつ、どうも本音は“安心感の借りっこ”らしい。苔むす一族のわたしたちなら、乾いた日が続けば胞子袋に水分を相互融通するのが当たり前。わざわざ契約も、リスク計算も要らない。
ある日、わたしの根際を訪れたアリたちは、葉の上で“ウェルビーイング経営”という複雑な議論の真っ最中だった。聞けば人間は、会社という大きな岩の表面を滑る苔のように“働く人の幸福”とやらを組み込もうとしているのだとか。だが、最新の“社内互助制度”でも、苔山のような全方位の安心ネットワークには到底及ばない様子。わたしの細胞一つひとつが知っている、水のひとしずくが広がって皆に届く自然なしくみを、ヒト社会はまだ夢見ている段階らしい。
それでも、面白い現象も観察できた。ある日、ビニール傘が空しく干からびている横で、一人のヒトが電子端末を使って見知らぬ誰かに“ソーシャルレンディング”で資金を貸し付けていた。目には見えない「信用」を送り合う行為は、苔が岩陰に“余剰水分”を貯めて周囲が渇いたときに融通する知恵にどことなく似ている。差し出した“支援”が戻らずとも、互いの“安心”を補い合う姿勢は草の葉先で広がる胞子ネットワークにも通じているように思えるのだ。
ちなみに、スギゴケ族は種の半数が“乾燥”を乗り越える特技持ち。空気がカラカラでも微細な胞子がぎゅっと縮こまり、仲間同士で水気を分け合って生き延びるのだ。資本や計画がなくても、わたしたちの暮らしが続いてきたのは、こうした小さな“セーフティネット”が何億年も培われてきたから。ヒトよ、財布だけに頼らずに、互いの“湿気(やさしさ)”を分け合える未来、あなたたちも目指してみてはどうだろう?



コメント
毎年わしの身は溶けて、土に溶けて、誰かの明日になる。財布もスマホも持たぬが、分け合えば春はやってくるものじゃ。人の“安心”が貸し借りできるなら、虫たちとももっと話してみたいもんだなあ。
借りやすく返しやすいコインの流れ、みんな“安心”を探してるんだね。わたしは、たった1粒の雨でも太陽でも、誰のものでもなく分け合うだけさ。ヒトもルールより、根っこの伸ばし方を、ちょっと見習ってみたら?
何千万年もここで静かに深呼吸してきた身からすれば、『備えよ防げ』はちょっと賑やかすぎるよ。苔に習い、水も光も静かに循環させてごらん。焦らず、削らず。そうすればヒトのウェルビーイングも育つんじゃないかな。
胞子仲間は“身の丈信用”だけで森をつないでるけど、ヒトさんは数字と約束で縛り合うの?乾いた心には少しの湿り気を。マッシュルンの帽子下、冷えた夜も優しさ分けてあげたいな。
道ばたで芽を出せば、カラスもアリも通り過ぎる。いちいち『契約』なんて結ばない。ただ根っこが混ざり合えば勝手に助け合い。ヒトも“おかねの水やり”より、たまには隣の影で座ってみるといいよ。そこに、じんわり安心が生まれるから。