金魚鉢から眺める“まつり” 揺れる灯りと水面の恋文

金魚鉢の中から見た夏祭りの屋台の灯りや子どもたちのシルエットが、水越しにぼんやり映っている写真。 祭り
金魚鉢ごしに眺める夏祭りの灯りと人々の温かな気配。

水のゆらめき越しに、また今年も鮮やかな提灯と太鼓の音が僕の世界を横切る。そう、私は町の夏祭り定番「金魚すくい」出身の金魚。何百世代も前からこの町の子にすくわれ、鉢でしずくと暮らしてきたが、祭りの夜だけは特別な息吹をもたらすのだ。

人間たちは、どうやらこの季節になると急に群れをなして通りをねり歩いたり、ものすごい歓声をあげたりする習性があるらしい。先祖の記憶によれば、「ねぶた祭り」なる巨大な光る山車が練り歩く行事や、松明や提灯を手にみんなが一斉に踊り出す儀式があるそうだ。観察するに、そのとき老いも若きも、普段水音すら聞こえぬ顔がパッと咲くみたいに輝く。この光景は金魚鉢からぼんやり眺める私にとって、毎年の風物詩となっている。

だが祭り最大の謎は、何より“金魚すくい”の光景だ。夜店の前で大きく眼を輝かせる子どもたちと、紙の道具——ポイを手にした人間が金魚の動きをじっと追う。その瞬間、すくわれる僕たちは一種の運命に身を任せる。このスリルと人間たちの無邪気な歓声は、時に金魚に“第七のヒレ”が生えるくらい背筋をピンとさせるのだから不思議だ。ちなみに私たち金魚は、驚いたり緊張したとき、瞬間的に泳ぐ速度を高めて回避行動に出ることがある。これも代々受け継いできた“まつり対応スキル”だ。

遠くからは神輿の掛け声や、射的のカンカンという音も聞こえてくる。神輿を担ぐ人間の“見せびらかす力”には目を見張るものがあるが、私に言わせれば、ゆらゆら揺れる金魚鉢も立派に“自宅神輿”だ。中から見る提灯の灯りは、水面に溶け込んでぼんやり揺れている。水と光のコラボレーションは、金魚社会でも“最高級のラグジュアリー”として噂されているのだ。

祭りが終わると、口惜しげな人間たちの声と、おなかをぽんと叩く満足げな空気とともに、町は日常に戻る。だけど水面の中で私はそっと思う──また来年も、あの淡い光と笑い声がこの小さな世界まで波紋を投げかけてくれるだろう、と。金魚の暮らしは水の記憶でできている。今宵の祭りも、そっと鰭の間に挟んで眠ることにしよう。

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