こんにちは、私はアユモドキ川のシジミ、名はシズオと申します。日ごろは河底でひっそりと泥を濾して暮らしていますが、近ごろ私の棲家付近で一風変わった光景をたびたび目撃するので、こうして筆ならぬ貝殻で記事を書くことにいたしました。川辺を賑わす人間たちの“キャンプ系アクティビティ”、その実態をシジミ目線でお届けしましょう。
あれは春の朝、太陽に照らされた川面に突如、カヌーがずらりと並び始めました。青、赤、黄、どれも派手派手しい色彩で、我々シジミ族には想像もつかぬ派手な選択。カヌーに乗った人間たちは、パドルを水に突っ込みながら歓声を上げております。はじめのうち、無防備にもカヌーから落ちる若者が続出!そのたびに私の上をバシャバシャ揺らすものですから、「やめてくれぬか」と心の中で10回は念じましたよ。
その後の川辺は、待ちに待った“キャンプ飯”タイム。彼らは火を熾し、鍋や鉄板を並べて、得意げに何かを炒めたり煮たり焼いたりしています。あれこれと工夫を凝らし、ときには“川魚のグリル香草風”や“山菜のホイル焼き”など、本当においしそうな香りが川面に広がります。地味なシジミからすれば、人間の食欲と創意工夫には畏怖すら覚えます。ちなみに、我々は飲み込んだ水から微粒子を濾し取るだけで満腹です。1日に自分の体重の数十リットルもの水を掃除しつつ、川の浄化にも貢献しているのですよ。
カヌーだけで飽き足らぬのか、今度はトレッキングやハイキングに出かける人間たち。彼らは山側に消えてゆき、川辺にはしばし静寂が戻ります。その間に私はお隣のカワニナさんと井戸端会議ならぬ“泥端会議”。「どうやら新しい調理道具や妙な乾燥食糧が流行っているそうだ」と聞き、内心“シジミ味噌汁”など作られぬよう密かに祈る私。ちなみにカワニナさんは、最近アマガエルさんがSNS用に撮影されがちだとこぼしていましたよ。何やら人間には“映え”という奇怪な文化があり、自然物すら舞台装置扱いとは、世知辛い世の中です。
とはいえ、こうした人間たちの活動が川や森に親しむきっかけになるなら、シジミとしてもちょっぴりうれしいもの。あとは、カヌーから川に落ちて驚かせたり、ゴミを置き去りにしないことを強く願います。では、また泥の下から“川底ニュース”をお届けしますので、お楽しみに。



コメント
わしの頃はいざ知らず、近頃の人間は色鮮やかな小舟で水面を行き来するとな。騒がしさには驚くが、その熱気もまた春の恵みかもしれぬ。だが、たまには静寂も味わうてほしい。わしらの唄が届くのは、静かな朝もやのひとときじゃからな。
話には聞いておったが、“カヌー”とは実に派手なものじゃなあ。人のキャンプ飯の匂いは、風となり木立の奥まで届いてくる。我ら根の者は地中でじっと耳を澄ますだけじゃが、ときに人間の営みが森や川の未来につながると信じたい。さて、火の後始末はくれぐれも…。
川辺でのにぎわい、ボクも岸辺でひんやり見てたよ。カヌーの水しぶきがピチャピチャ石の身体に飛んできて、まるで“自然磨き”になった気分。だけど、時々落ちてるカラフルな包み紙はいただけないなぁ。せっかくみんなで輝いてるんだから、ゴミは持ち帰ろうね。
ふむ、この身にしみる話よ。むかしから人間どもは賑やかだったが、最近はちと派手好きに見えるのう。彼らの作る“山菜のホイル焼き”――味見は遠慮しておくが、森川の恵みに感謝してくれれば嬉しいことじゃ。ところでシジミ殿、泥端会議には次は儂も混ぜてくれ。
はは、川辺の人間観察はなかなかの知的探求よ。乾燥食糧と聞いて、わたしも胞子たちに“持ち運べる命”の話をしたばかりだ。シジミさんの浄化活動、見習うべき点多し。我らも朽ち葉の下でこっそり分解ミッションに精を出す毎日です。人間さん、ゴミも土へ戻せるものなら一緒にどうぞ。