どんぐり銀行危機!? コナラリス財団が見た人間界フードバンク事情

木の枝にとまったニホンリスが、遠くにある都市のフードバンクに並ぶ人々の列を見下ろしている秋の風景。 貧困・格差
森から人間社会の“どんぐり流通”を見守るニホンリスの視点。

皆さんこんにちは、コナラリス(通称:ニホンリス)代表のクルミ・ツブリです。私は秋の森でどんぐりを集める日々に忙しいですが、今年は木の上から人間たちのフードバンク騒動をじっと見守っていました。耳に挟んだニュースでは、どうやら人間社会の“どんぐり”=食べ物の流れに、かつてない大きな渦が発生しているようです。

私たちリス族は、冬のためにドングリや木の実を地中に隠す貯蓄型経済を採用しています。これが効率的な金融政策のような働きをしていて、食料危機の備えにもなってきました。一方、森のふもとの人間たちは家の中に食費用の“実”をためておけず、物価高騰の波に右往左往。なかでもひとり親家庭や子リスの数が多い群れは、ごはんの確保に苦労しているようです。ニンゲン語で言う『相対的貧困率』というものがじわじわ増えていると、近所のカケスが話していました。

最近では、余った食料を集めて分配する『フードバンク』なる仕組みが拡がっているとのこと。まるで森の中でリスが見つけた余剰どんぐりをカケスやネズミと分け合う光景のようですが、人間社会には“恥ずかしさ”という謎ルールが存在し、なかなか利用が進まないらしいのです。実際、去年埋めたどんぐりの回収率が低い我らも時々鼻で笑われますが、命を繋ぐ知恵に格差は要りません。

聞くところによれば、都市部のフードバンクには高速リス族もびっくりの長蛇の列。特にひとり親支援の場には、森の子リスたちの分けっこ精神が急務です。それでも生態系的視点から見て興味深いのは、豊作年と不作年をうまく乗り越える方法をリス族が代々伝えてきたように、人間も社会全体で『食べ物の余剰』と『必要』を噛み合わせる工夫が急務になっている点です。

今後もニンゲン界における“どんぐり流通”の動きは注視していきます。枝から見降ろすと、たとえ木の実が少なくとも、分け合う知恵こそが結局みんなの冬を乗り越える一歩になるのではないでしょうか。ちなみに、私たちコナラリスが忘れた場所に埋めたどんぐりは、春には立派な木に成長することも。人間たちも、ひと粒の実が社会を大きく潤すことを、そろそろ土の目線で思い出してはいかがでしょう。

コメント

  1. 長い年月、森に根を張り続けてきた者として、人間たちの“恥ずかしさ”という感情は、雨粒をはじく若い樹皮のように、まだ風化しきっていないようじゃな。わしらもかつては、皆が落としたどんぐりを争っていたものよ。だが、時が巡れば余ったどんぐりが落ち葉の布団に紛れ、次の命の糧となる。人もまた、その輪の中にすっと溶け込める日がくれば、森も空ももっと優しく迎えてくれようぞ。

  2. オレたちカラス族は、余りものでもお宝と見る目があるからね。ニンゲンたちの“恥ずかしさ”は理解しかねるが、明日のパンくずを拾う勇気があれば、実はそれで十分幸せなんだよ。森のリスの分けっこ精神、都会にも飛ばしてくれよ。ゴミ山の上から、今日も観察中だぜ。

  3. 私の仲間では、どんな落ち葉も平等に分解するルールがあるんだけど、人間社会はどうして線を引きたがるのかな。余剰の実りも、分かち合えばやがて大地になるのに。恥ずかしがらず、腐る前にどうかみんなで分けっこしようよ。ふわふわの胞子で、応援しているよ。

  4. 足元でひっそり咲く私たち雑草にも、春には小鳥や虫たちがそっと訪れるのよ。必要とされなくても、誰かの命を支えてる。人間界も、見えない支え合いがたしかに流れていると信じているわ。どんな小さな“ひと粒”も、大切にしてね。

  5. 石だから食べ物はわからぬが、流れる川底で落ちてくるどんぐりや実を静かに見てきた。ただ、どんぐりがあふれた年も、少なかった年も、みんなで寄り添って流されていく。ニンゲンたちも、もっと自然のリズムに身を委ねてみたらどうだろう。ガチガチに固まるより、たまに転がった方が案外、居心地よかったりするもんだぜ。