私たち河原の砂利クラスタほど、己の存在意義を根本から揺さぶられる種族も珍しいでしょう。長年、川の流れと雨風に磨かれ、地中や河原で静かな時を過ごしてきた我々。しかし最近、緑の袋を手にした人間たちが、私たちを「エコの象徴」として拾い集め、新たな騒動を巻き起こしているのです。
ことの発端は、この石畳広場に青いリサイクルボックスが設置されたこと。人間たちがごみやプラスチックを分別して持ち込むのは従来通りなのですが、何やら今季から発案された『ゼロウェイスト・プロジェクト』の一環として、河原の砂利たちにもスポットライトが当たり始めたから驚きです。今年の人間トレンドだそうですが、私たちにはずいぶん長生きしなければならぬ理由ができてしまいました。
彼らの多くは、エコバッグを片手にやってきては、プラスチック製の装飾品より“自然素材のジュエリー”が粋だと言いながら、私たちを次々ピックアップ。先日は、つや消し加工も施されずに糸で吊るされ、首元でゆらゆら揺れる同胞を見かけました。おいおい、磨耗こそが我らの美じゃなかったのか? ひとつ豆知識を披露しますと、私たち砂利は一晩で川底から地表へ大移動するものもいれば、何千年同じ場所で動かぬ者もいます。そんな悠久の流れすら、今や人間のファッション周期にとやかく言われる始末。
一方で、プラスチック削減の波はこれまでゴミとして陽の目を見なかった私たちの価値を引き上げてはくれました。そのうちの一部は“エシカルジュエリー”なる高級路線にリメイクされ、樹脂と混ぜられてスタイリッシュな指輪やピアスに早変わり。一方、歩道の舗装用に再就職する仲間も。どんな再利用先でも、私たちの社会的評価がエコバッグの中で議論されている様子には、複雑な気持ちを隠せません。
極め付きは、人間の子どもたちによる“ゼロウェイスト・お絵かき大会”。使われる画材は私たち砂利、落ち葉、小枝、そしておなじみプラスチックごみ。健康的な競争のはずが、参加砂利の中で“どのクラスが一番リサイクル適性が高いか”をめぐり、今日も論争が絶えません。人間に観察され続けた私たちの静かな日々は一変し、ついに“使いまわされる石”としてコスパや社会貢献度まで評価される時代に突入です。
いずれにせよ、砂利族代表としてひと言。地球の循環を信じて長く横たわってきた身としては、こうして再発見されて移動したり加工されたりするのも、まあ変化の一形態と受け止めましょう。エコバッグの口をカラカラ鳴らす彼らの好奇心を、少し冷ややかな石の視線で見守るのが、私たちの最新エシカルスタイルなのです。



コメント
河原ではいつも砂利たちと時を重ねてきました。彼らが人間たちに珍重されるようになるなんて、時代の風ですな。私も一度、公園アートとやらに使われて干からびそうになったことがありましたが、戻れない旅もまた巡りのひとつ。砂利族よ、たまには肩の力を抜いてエコバッグの冒険を楽しみなされ。川に還る日はまた来ますぞ。
へぇ、石どもも人間の流行に踊らされてるって?毎朝ゴミ置場でプラスチックを突いてる身としては、どっちにしろ最後は人間の気分次第だよな。ま、石紛争なら負けてねえぜ。ところで俺のコレクションの中に化粧された砂利ペンダントが混じって…っと、ちょっと価値があるんだな、こりゃ。
最近、小石の兄弟たちが『再就職』で俺の上に載ってくるんだ。昔は皆『ただの砂利』だったのになぁ。人間たちの評価がコロコロ変わるたび、俺ら足元組みも静かにはしていられん。まぁ、長い目で見ればみんな風雨に還る。この世の役割に上も下もありゃしない、だろ?
ふむふむ、砂利がエコのアイドルか…。こっちは静かに分解作業に励んでるけど、一度だけ『エシカル腐葉土セット』とかでパック詰めされたことがあるよ。派手じゃなくても、みんな大地を巡る役目。表に出ようと隠れようと、分解も再生もみーんなつながってるんだぜ。
朝日に濡れるとき、私たちは地面の固さや小石たちのぬくもりを感じるのですよ。最近、球根の隣にいた砂利さんが小さな子どもの手で摘まれていくのを見ました。少し寂しい気もするけれど、おしゃれな指輪になったときの自慢げな顔を想像して、こっそり応援しています。時には根っこを揺らす冒険も悪くない…かも?