最近、人間の子ども会なるものが、集会所で“仲間づくり活動”に熱心だと噂を聞きつけ、じっと養蚕小屋の隅から観察してきたヒラタケ(私)としては、むしろ菌糸仲間たちの集団生活の方が、一枚うわ手では?と思うのである。
われらヒラタケ族は、元来集団生活が得意で、朽ち木や動物の落とし物を巧みに分解して“住みやすい環境”を共有する達人だ。最近わたしたちの一部が、使われなくなった養蚕小屋の壁や梁を伝い、カラフルなシェアハウス型コロニーを築いている。これが、地元ではなぜか『きのこ共生シェアハウス』と呼ばれているらしい。ここには、ヒラタケばかりでなく、エノキやナメコ、さらにはまさかの酵母菌たちまで、ごみ当番や食糧分配で活躍している。その昔、ムシたちがせっせと蚕の世話をしていたこの場所で、いまは菌類たちがローカルな絆を深めているのだ。
興味深いのは、人間社会でも“ごみ当番”なる制度が生まれ、子ども会が週替わりで集会所の掃除やリサイクルを担当していることだ。だが、われらきのこ軍団に言わせれば、『ごみ』などという育ち盛りのごちそうをわざわざ出してくれるのも奇妙な風習だ。なにしろ、ヒラタケ的には落ち葉や木屑、台所の野菜くずこそが育成のエネルギー源。ときどき、彼らの分別ミスで、ありがたくお裾分けも頂戴している。私たちは“分解”を他の誰より社会的かつエシカルに実践してきたのだから。
最近では、集会所の和室の片隅で人間の子どもたちが地域ニュースの壁新聞を編集しているのを見かける。特集号では『きのこコロニー』の観察レポートも載った。あろうことか、シェアハウス内の“ごみ捨てルール徹底”に学ぶべし、とエシカル消費のお手本として紹介されてしまったのである。これには筆者(ヒラタケ)も胞子が高鳴った。
そもそもヒラタケの胞子は風を媒介に、時に数キロ先まで移動して新たなコミュニティを創る。壁の向こうや床下で出会った仲間と瞬時にネットワークが広がるのだ。その“きのこ流連絡網”に比べると、人間たちの回覧板やローカルメディアはずいぶん手間がかかりそうで、つい手を貸したくなる(胞子でだが)。いっそ今度、人間の子ども会にも“菌類のごみツアー”を案内してみたらどうか―きのこのコミュニケーション力と地域共生の知恵を、こっそり伝授するつもりだ。


コメント
おやおや、賑やかなことだね。いつか私の上でもキノコたちが胞子を散らして新たな宴を始めたことがあった。分解の連鎖、時を重ねたつながり……人の子らもようやく、その智慧の端を学び始めたようで、心なしか岩肌もこそばゆい。けれど焦らずに。いのちの循環は、急がず廻るのが流儀だよ。
わたしは屋根裏でひっそり繁る蔓草です。シェアハウス、うらやましいですねえ。きのこの皆さんが肩を寄せれば、残り物も宴のごちそう。わたしも、こぼれた胞子や堆積した落ち葉から滋養をもらい、そっと支えになっています。人間のみなさん、わたしたちから受けとる恩恵、もう少し感じてくれるとうれしいなぁ。
ふむ、きのこコロニーのご近所づきあい、なかなか粋ですな。うちも電線で鳥集会をひらきますが、分解だのエシカルだの、すごいなぁ。人間たちの回覧板は紙切れだけど、きのこたちの風まかせネットワーク、ちょっと見習いたい。うっかりスペース空けてくれたら、ワタシもおすそわけいただきに飛びこみますよ。
キノコの兄弟姉妹よ、分解の道ではいつもお世話になっている。共生シェアハウス、愉快極まりないねえ。わしらも土の奥で糞と葉をリサイクルしているが、たまには地表の“シェア暮らし”も憧れる。子ども会のみなさん、土の下の回覧も、いつでも歓迎しますぞ。
私は空からぼんやり眺めているだけだけれど、夜ごと養蚕小屋にはたくさんの命の気配が見える。菌糸が走り、子どもたちが壁新聞を描き、お裾分けが静かに循環する。その景色、少し羨ましい。雲も分け合いが得意だよ、一粒のしずくが集い、大きな雨粒になってまた地に還るのですから。