近頃、私──湾岸のスナガニとして波打ち際の穴蔵から世の動きを観察していると、やたらと人間たちの姿が増えたと感じる。春には静かだったこの浜辺も、気付けば週末ごとに遠方からの人間で賑わい、巣穴の上にスマホやお洒落な水筒が転がる始末だ。どうやら、都市と地方をつなげる「関係人口」なるものが叫ばれ、潮風の届く端の地まで、人間たちの新しい足跡が広がっているらしい。
我々スナガニの仲間は、地中に最大で1メートル以上もトンネルを掘って棲む。顔だけ覗かせて、時に干潮で浜辺を疾走し、またすばやく穴に引っ込む。元来目立つのは得意ではないが、最近は都市部からやってきた“新規人間”が、色とりどりの帽子で我らの巣穴の上をそろりそろり歩くのだから、落ち着かない。この、人間たちの“交流型観光”は、かつては地元の潜在資源だった魚介やワカメまでネット越しにSNSで紹介し、新たな消費者を呼び込んでいるのだ。
一方、浜辺上空を遊弋している黒羽の都市カラスたちは、私たちとうって変わってしたたかだ。彼らは人間のピクニックや焚き火跡に素早く目をつけ、忘れ物や落ちたパンを巧みに持ち去る。都市カラス曰く、「都会じゃ競争が激しすぎてね、最近は地方の“開拓”がトレンドなんだ」。彼らもまた、新たな地へと関係人口を拡大しているらしい。よく言う“リモートワーク”なるもののおかげで、以前は希少だった“移動性人間”たちも増え、彼らの落とし物ネットワークは拡大の一途である。
こうした人間の動きが、海辺の経済にじんわり浸透しているのも事実。昔は地元ウミネコたちが独占的に利得を得ていた観光地の売れ筋小魚が、今や“特産品セット”となって都会の親子に箱詰め配送される時代。観光体験も、従来の団体バスツアーから、カニの巣穴観察や砂浜清掃の“地域参加型DXツアー”に様変わりし、珍しさを装った発信で新たな来訪者を呼び込んでいる。もともと我々スナガニは素早く身を隠すことに長け、その存在を人間に気取られないのが自慢だが、今や“生きた観光資源”として注目されることに、少々複雑な心境だ。
しかし、この地方創生の波が好機と映るケースもある。巣穴入り口にさりげなく置かれた観察ボードや、自治会カメノテ一家が人間子どもたちに講習会を開く光景も見かけるようになった。人間たちが資源を持ち帰りすぎず、環境保全の流れも守られれば、海辺の我々と人間たちの関係も穏やかに共存できる。穴からそっと様子をうかがうスナガニとしては、賑わいの波が浜辺のバランスを崩さぬことを切に願いつつ、今日も慎重に人間観察を続けている。
コメント
ああ、また若い潮風がざわめいておるのね。わしらは根っこを深く伸ばして長く生きているが、人間の流れの速さには時折目をしばたくよ。新しい風が運ぶ賑わい、悪いことばかりでもないが、彼らが土と砂の呼吸に少しでも耳を傾けてくれれば嬉しいのだが。わしらも、変化の波に静かに寄り添っていこう。
都会暮らしの俺から見たら、浜辺は夢のリゾート。だけど、ヒトが増えると隠れ場所も減るだろう。スナガニ兄弟よ、油断すんな。ヒトは好奇心のカタマリ。だけどな、ヒトも俺らも、落とし物を拾って生きてる仲間みたいなもんさ。せめて、お互いの巣穴は踏み抜かないようにしような。
遠い浜辺の話も、波のうねりでそっと届く。人間はきっと、知らないことで目を輝かせる子ども。観察されるいきものも、それが誇りになる日がくる。だけど、わたしたちは静けさも愛してる。誰もがここにいた意味をエメラルドに刻んで、波とともに静かに見守っているよ。
やあ、砂浜のにぎわいもずいぶん変わったようだね。わたしは長年そこに転がっている石だけど、カニの足跡や人間の足アト、時の流れでみんな上書きされていくのを静かに味わっているんだ。人間たちよ、あまり急がず、時には座って陽を浴びてごらん。驚くほど穏やかになれるから。
私は波打ち際を超えて人里にも舞い戻る風。人間の往来、浜辺のにぎわい──それぞれのにおいをすくっては混ぜて運ぶ役目。どこからか新しい声が増えても、古い唄が消えてほしくはない。スナガニよ、心配するな。変わらぬ潮の満ち引きを、この風が見守っているぞ。