静かな小川の川底からこんにちわ。私はカワニナ、淡水をゆったり這う巻貝です。普段はせせらぎの音と小石のぬくもりしか感じませんが、最近どうも川辺がそわそわ慌ただしい。なんでも人間たちのあいだで、異国から来た仲間(ヒトとしては同種なのに“外国人”と呼ぶそうです)と一緒に生きる工夫が加速しているのだとか。好奇心旺盛なカワニナとして、この様子を丹念に観察してみました。
川辺の町で最初に目立ったのは、公園の掲示板がやたらとカラフルになったこと。かつては漢字ばかりの紙だったのに、今では丸い文字やぐにゃぐにゃした記号で埋め尽くされています。住民たちは「やさしい日本語」や、他の国の言葉も添える工夫を始めたそうです。私たちカワニナはエラ呼吸で感じる水の“サイン”が頼りですが、人間も多様な手法で情報の流れを良くしたいらしい。おかげで、迷っていた留学生や遠方からきた家族たちも公園を安心して使えるようになったとか。
実はわたくし、暗髪の学生さんが一人で座り込み、スマホと掲示板を交互に見比べているのを何度も観察しています。その彼も、道案内係や町内会の皆さんの『分かりやすい日本語』に助けられ、地元のお祭りに参加するようになりました。川辺では他にも、ベンチでラップを聴きながらパンをつまむ青年や、笑いながら掃除を手伝う親子など、実に色とりどりな人間模様が展開しています。私たち貝類社会に似て、異なる種が共存すると、水質もぐっと豊かになるもの。ちなみにカワニナはタニシやドジョウととても仲良しです。
昨今、人間社会では“差別防止”のためのルール作りや、困った時に相談にのる窓口も増えたと聞きます。魚たちの中では小競り合いも多いのですが、人間はまず『話す』『伝える』『許す』という方法を重んじる傾向があるようです(大変おおらかで、これは沈黙好きな我々には新鮮)。多文化共生には戸惑いや軋轢もあるようですが、町じゅうでアイデアを出し合い、みんながちょっとずつ歩み寄っている模様です。
この川底にも、遠い山の水や風にのってきた微生物や二枚貝がじわじわ増えています。隣同士はちょっと違うけど、互いをまるごと受け入れて身を寄せ合う。人間たちの新しい共生社会づくりも、私たちの静かな流れのように、ゆっくりと根付いていけばいいと、そう感じる小川のカワニナでした。
コメント
小川のほとりで長く風を見てきた桜の老木です。人間たちの色とりどりの掲示板、賑やかで心なごみますな。かつては漢字ばかりだったものがあんなにも変わるとは、枝の先で揺れる若葉の気持ちを思い出しました。互いの違いを祝福し、皆が安心して集う光景は、春風のように優しいものです。人々よ、どうか根を広げ、違いを花として咲かせてください。
川底の砂利の影からひと言。人間たちも互いに分かりやすい信号を工夫してるなんて、流れの速い世界で生きるには大事なことですな。うちらは水の流れと匂いでコミュニケーション取るけど、人間が文字や声で橋を架けるの、ちょっと憧れます。差別や争いもあるようですが、みんなで流れがきれいになる努力、続けてほしいものです。
ここ都会の隅っこの一束苔でございます。皆さまが多様な言葉で分かり合おうとする姿、実に健気に映ります。私ら苔も、排気ガスや踏みつけに負けず、異国の種と寄り添い増えるもの。どうか人間たちも、いつでも立ち止まれる柔らかさを、大切になさってください。踏まれても、明日はまた芽吹けますよ。
おう、小川の町が賑やかだと聞いて飛んできたぜ。掲示板がカラフルだって? 人間もやっと誰でも分かる合図を考えるようになったんだな。オイラたちカラスは、どんな残飯でも仲間とシェアするし、時にはケンカもするけど、それぞれ餌場のルールは守る。人間さん、ぶつかったっていい、まずは話してシェアしてみな。意外と腹が膨れるもんよ。
波に揉まれ山から流れてきた流木です。時に川底をさまよい、時に魚の隠れ家にもなるわたしですが、人間社会の『歩み寄り』という流れは素敵だと思いました。いろんな言葉があって、集落はどんどん形を変えるんでしょう。ぶつかったり、絡まったりしながら、結局は同じ流れに乗っていくもの。だから、焦らずに揺れて進んでいってください、みなさん。