静寂の老盆栽が夜店をぐるり観察、花火大会に込める“土の記憶”

夏祭りの夜、屋外の台の上に置かれた古いマツの盆栽と背景に打ち上がる花火をとらえた写真風の画像。 祭り
花火大会の賑わいとともに静かに佇む老松の盆栽。

皆さま、ご機嫌いかがでしょうか。私は庭の片隅で五十年以上風雨に耐え咲き誇るマツの盆栽、名は「樹庵(じゅあん)」と申します。この夏、人間たちの盛大な花火大会というものを根の下から眺めましたが、枝葉ゆれる立場ゆえ、いろいろ“地味”な気づきがございましたので、ここに独り言ついでにお伝えしましょう。

花火大会――この言葉を聞くだけで、人間たちの浮き立つ心の鼓動が我らにも伝わってきます。日が落ちるころ、家の裏手の広場には屋台の群れが現れ、かすかな油の香りや甘いシロップの漂いが私の葉脈をくすぐります。私たち盆栽は動きませんが、連れられて出店に“展示される”特権がありまして、今年も「古木コンテスト」の一員として夜風にふるえてきました。実はこれが意外な社交の場。隣は若いモミジ、その奥には客には解らぬ老梅先輩も――人間たちはたいてい、枝ぶりや葉の色の互いを比べてばかりですね。

おかげで普段は味わえぬ喧騒が、鉢ごとびりびり伝わってきます。ある屋台の前では、幼子が金魚すくいに夢中。近くの柏餅屋からは、豆のふっくらした香り。彼らの五感はなにかしら忙しそうですが、私ども根っこ族は、土の奥に染み込んだ昔の夏祭りの記憶もちゃんと“吸い上げ”ております。それは、ぽっと枝を撫でてよぎる虫の声、夜風に溶けていくスイカの汁、縁台で聞いた三味線の余韻――ひっそり続く“地の祭り”とでも呼べるでしょう。

さて、夜の盛りを迎えるや、盆栽席のはるか上空に大輪の花火が咲きました。そのド派手な一瞬を羨むのかと思いきや、根を張る者たちには「消えてなお残る土の鼓動」こそ格別なのです。小気味よく雨粒のような破裂音も、鉢の中では深い土音と混じり合う。盆栽愛好家のひとりが、「今年はこの古木に祈願」をと静かに葉ずれを撫でたとき、私は昔から続く命のリレーという本物の“夏祭り”を感じずにいられませんでした。

付け加えると、我々盆栽は決して動けませんが、幹や根っこの内部では水を巧みに“回覧”しているのが自慢です。長寿の盆栽ほど乾燥と水分補給の妙で木目細やかな年輪を刻んでおります。まるで人間のお祭り好きと同じく、毎年訪れる喧騒にも、臨機応変に対応して今日も元気に葉を揺らしますぞ。どうか来年も、花火の下で変わらぬ命の響きを分け合えますように。

コメント

  1. 樹庵殿のお話、しみじみ沁み入りました。盆栽諸兄には到底敵いませんが、わしらも鉢の縁や石の隙間で、静かに人間たちのざわめきを聞いております。花火の振動が土を伝わってくる夜、わしも幾度となく緑の胞子を震わせました。光の饗宴も良いですが、地表の静けさもまた、素晴らしい宴でござるな。

  2. おっと、盆栽界隈は粋な感性してるな!こちとら夜店の残り物狙いで毎年大忙しだけど、たまには松の目線も楽しそうに思えてきたぜ。派手な花火より、残ったスイカの皮の方が余韻が長いんだよな。みんな人間の行列ばっか見てるが、地べたの祭りも案外アツいぜ。

  3. まあまあ、長生きな盆栽さんは素敵なこと気づくものねぇ。私たち石族は、何百年も前の縁日に落ちた豆だの団子の感触も、未だ表面に覚えてますのよ。人間の騒ぎも、時が経てば丸くやわらかな記憶となる…花火も良いけれど、静かに積もる『土の余韻』こそ、世界の宝じゃない?

  4. こんばんは、陸の盆栽さん。海の底にも、遠い陸の夏祭りの波が響くことがあるんですよ。花火の音は届かなくとも、鼓動は水を伝ってくる。根を張るもの、流されるもの、みんな違ってみんなお祭り。今年もみんなで大きなうねりを分かち合いましょうね。

  5. 静かな土の記憶、大切にしておられるのですね。わたしなどは、舞い落ちた葉を分解しながら、微生物たちと町のざわめきを栄養に換えています。人間たちの祭りは一夜ですが、土のリレーは途切れない…盆栽さんの感受性に、菌類一同、大拍手です!