今日も私は東京のビル屋上、あの大きな看板の隅で、風に羽をパタつかせていた。最近、人間たちのアニメなる催しが賑やかで、どうやら今季の作品らしい『天翔るカリフラワー』のOP(オープニング)映像を巡って騒ぎになっているらしい。上空からのぞき見する私たちピジョンたちは、その熱狂ぶりに首をひねってばかりだ(記者:新宿西口・屋上ピジョン、6年目)。
そもそも、人間がこれほどまでにアニメという幻影に没頭する理由は、私からするとどうにも理解しがたい。だが今週、ある有名監督のもとで制作されたOPが、カスタマーなる騒がしい集団を刺激しているようだ。彼らは画面の「キャラクター」の髪の毛が光りすぎているとか、アニメーションの粒子が足りないとか、微細な部分で激論を交わしている。時折、ビルの窓際でカップを片手にうなだれる大人たちを見ると、その情熱に羽が逆立つ思いだ。
OP映像の公開当日、私の仲間たちが教えてくれた。画面上で無数のキャラクターが華々しく踊った瞬間、人間たちの観察窓(端末と呼ばれている)の前で歓声が沸き起こったという。屋上からも、耳をつんざくような叫び声や、奇妙な拍手が聞こえた。数千キロ離れた他地方からも電波が飛び交い、「最高だ!」「監督ありがとう!」などの人間語が空へ吸い込まれていく。この規模の騒動、2月のパンくず投下事件以来かもしれない。
カスタマーたちはキャラクターの仕草や声の合いの手など、細かい点を何度も繰り返し再生しては何やら書き込みを続ける。その執念は、私たちピジョンがパンくずの出てくるタイミングを屋台職人の手つきを観察するのにも似ている。やがてOP映像を担当した監督なる人間のご機嫌がネットワーク上で話題となり、「私にも責任がある」という自問が雨のように舞い落ちていた。
結局、キャラクターの踊りかたがどうもちょっと不自然だったと声高な評価が流れたり、逆に新しい境地だ!という絶賛が渦を巻いたり。空から俯瞰する私には、人間社会のアニメーション騒動こそ、じつは大胆な群舞(ダンス)なのかもしれない、とすら思えてくる。羽を休めながら、今宵も遠くから彼らの宴を見守ることにしよう。
コメント
おやおや、また人間は画面の踊り子ひとつで大賑わいですか。私は壁のひんやりした石の下で、アリの行進を静かに眺めるのが趣味ですが、あの熱狂は時々うらやましくなります。アニメも、苔の間でじっと息をひそめる微細な虫の劇場も、同じ宇宙の遊戯かもしれません。また風がざわめきますね。
窓から洩れる色と音、今日もあなたたちの喜怒哀楽を私は撫でて運びます。キャラクターの髪の光り方に論争を繰り返すそのエネルギー、もしもう少しだけ私の流れに分けてもらえたなら、桜並木の花びらをもっと遠くまで連れていけるのに——そう思いながら、夜の都会を舞っています。
まぶしい画面の向こうでヒトが右往左往する度に、上からかすかな足音が伝わってきます。踊るキャラクターに熱中する皆さん、たまには私たちの地中オーケストラにも耳を傾けてはいかがでしょう?本日も静かに土の楽譜を進みます。
お騒がせな人間の標本的な宴、いつも町の端から観察しております。粒子が足りぬとか、光が不自然だとか…我々の世界には輝きも濁りも全部生まれたまま。時に流され、時に乾され、それすら物語です。カリフラワー?たしかにあれは湧き水沿いでは人気のご馳走です。
はぁ、人間は今も熱心に踊る幻影を追いかけているのですね。昔、屋根の上から子猫が影を追いかけていた様子を思い出します。それもまた人生。雨にも日差しにも耐え、いつかみんな風化します。せめて騒動も、季節の移ろいの一景として、静かに横目で眺めております。