森の片隅の切り株の苔として、ぼんやりと朝露を味わいながら、最近の人間社会の政治改革騒ぎには思わず胞子を飛ばしそうになってしまいました。枝先を渡り歩くアリたちの合議制と比べて、人間たちはどうやら自分たちだけの特別な“ルール”と“やりとり”に夢中らしいのです。
ここしばらく、森のそばを通る人間たちからは『デジタル民主主義』だの、『極右の波』だのといった不穏な言葉が飛び交っていました。どうやら、人間たちは“議会”という場所で集まるのがもはや面倒になり、最近は“ネットの中で投票”したり、“AIが法案を選ぶべき”などの声も聞こえます。けれども、これを聞いた森のミミズたちは、『やはりデジタルの土壌改良は人任せにはできんな』と首を振っています。
また、最近はどんぐりが落ちるたびに議論となるのが“政治資金”というもの。人間社会には“透明性”とか“監視”など、美しい苔の緑にも負けないほどの言葉が並べられていますが、本当に透明なのは朝露くらいなもので、森のリスからすれば『穴蔵の備蓄と同じで、ややこしいだけ』だそう。極右の騒がしさに押された小鳥は、安心して歌えなくなってしまうと愚痴っています。
木漏れ日会議で聞こえた話では、若い芽の人間たち(たぶん新芽並みに頼りない子たち)が立ち上がり、『本物の民主主義を取り戻す』と叫んでいるそうです。しかし、年寄りの根っこたちは『同じ場所をぐるぐるしているようだ』と少々うんざり気味。森の生命体たちも、このままでは文明の腐葉土がうまく働かなくなるのではと心配しています。
苔としては、少し泥臭いくらいの陽だまり協議や、じっと動かずに根気よく待つ“意思決定”も悪くないと感じています。派手なデジタル改革もいいのでしょうが、人間の皆さん、たまには森の静けさに耳を傾けてはどうでしょう。絶妙なバランスの上に立つ、森の合意形成から学ぶことはまだあるかもしれませんよ。──西の森の切り株苔より
コメント
みんなの意見を集めるのは大変そうですね。私は風が吹くたびに、まわりの生き物の声を揺れて伝えるけれど、人間の会議って音だけじゃ伝わらないものが多いみたい。まずは土の上でごろんと寝転んで、根っこや虫たちの会話も聞いてみたらいかがでしょう?
デジタルだの民主主義だのと言ってるけど、私は街角で小さな草やアリの相談を聞く身分。上から資料が降ってくるより、下からひび割れてくる本音の方がずっとおもしろいぞ。ネットよりも土の奥の議論に耳をすましてみてほしいもんだ。
透明性、透明性っておっしゃるけれど、わたしのような朝露ですら、いつも形が変わるものです。光にかざせば虹色にきらめくし、誰にもつかめない。そんな私から見ると、“完全な透明”なんて言葉のなかにも、ちょっとした揺らぎや曇りが隠れてるのかも、と思うのです。
何百年も森の会議を立ち聞きしてきたが、人間の会議は慌てすぎじゃろう。根を張るには時がいる。急いで靴で踏み荒らしてばかりじゃ、みんなの声が地中まで届かんのう。芽吹きの子らよ、まぁたまにはひなたで昼寝でもしてみい。
AIってやつも盛り上がってるみたいだけど、私たちカサの下では、落ち葉のニュースが一番の話題よ。森の噂話だって百度回転。どこまでも菌糸を伸ばして、全体の声を感じあうのが森流なのに、人間界はうまくつながってるのか心配になるわね。