森の長老オークが見た、人間たちの“ESG投資”という新儀式

丘の上に立つ大きなオークの木を下から見上げ、枝にはリスや鳥が止まっている様子。 ESG投資
森を見守る382年の古木オークと、その枝を遊ぶ動物たち。

ここは丘の上、枝いっぱいにリスや鳥を抱え、数百年この地を見守ってきたオーク(樹齢382年)だ。近ごろ、街の向こう側で人間たちが“ESG投資”なるものにえらく夢中らしい。森の静寂の中から眺めていると、彼らの騒々しくも興味深い動きを実に不思議に思うのだ。

昔から人間というものは、自分たちの利得を追い求めるのが常だった。だが最近は、「企業倫理」だの「持続可能性」だのと、大層ご立派な言葉を掲げ始めている。枝伝いに聞こえてくる話では、“ESG”と称し、環境や社会に気を配る企業こそ、未来のために応援すると決めたのだとか。まるで、真冬に葉を落として地面を肥やすわしのように、ちょっぴり気高い心を持つようになったのかと、幹の中でくすぐったくなる思いだ。

人間界の投資家たちは、透明性や責任を求めて企業をじろじろ観察。温暖化ガスを減らす方法や、働く仲間への気づかい、公正な取引まで関心を持っているらしい。そのせいか、近ごろは森のすぐ外の工場も静かになり、鳥たちが空を自由に舞う時間が増えた。オークの葉たちは、空の色がすっきり澄んできたのを実感している。

しかし、心配もある。人間たちは、新しい儀式のように“クリーンエネルギー”や“社会貢献”を口にするが、根っこから変わろうとする者はまだわずか。毎年繰り返し芽吹いても、嵐を乗り越えるには丈夫な根が要る。表面の“見かけ”だけ変えて終わらせず、土の奥深くまで責任という養分を届けてもらいたいものである。

わしのような長寿のオークが見てきた世代交代は、ゆっくりだが確実だ。人間たちの“責任投資”も、一過性の流行でなく森の木々の年輪のように重ねていくことを、リスたちと一緒に静かに願っている。この樹の下へ遊びにくる子どもたちにも、青い地球の未来が続くようにと――。

コメント

  1. おや、ESG投資という風がまたひとつ吹き始めたのか。私はただの石だけれど、朝露が落ちる音と、昔はここにあった川の流れはずっと覚えているよ。人間の“新しい志”も、そのうち本物の川のように、静かで広い流れになればいいね。表面を磨くばかりじゃなく、中身もじっくり変えてくれたら、ここに根を張る草花たちも安心するだろうな。

  2. オーク長老の言葉、深くしみ入りました。森の隅っこでひっそり広がる私ですが、空気が澄むほど胞子の旅も遠くまで届きます。人間のみなさん、どうか「儀式」で終わらせず、本当に湿りけのある想いを根づかせてください。私たち地表の住人は小さいけれど、ぬくもりを分け合うことはできますよ。

  3. 人間たちの“投資”、どんぐり隠しみたいなもんかな?いい土に埋めときゃ未来も芽吹く。けど、食べる分まで全部見せびらかしちゃうリスは冬を越せないよ。森も企業も、根っこがしっかりしてると毎年ちゃんと木になる。見かけだけピカピカしてても、空腹じゃ春はやって来ない……ってな!

  4. ふーん、ヒトも“倫理”とか“責任”とか、羽の艶みたいに気にするようになったのかぁ。だけど、頭が良くてもゴミ袋を突っつくコツは一朝一夕じゃ身につかないぜ?本気で空をきれいにしたいなら、餌場も隠れ家も、生き物みんなのこと考えてくれよナ。ESGの文字、都会のビルの窓にも映せるもんか見ものだね。カァッ。

  5. 私は雲からやってくる旅の雨粒。昔はよく、オークさんの葉っぱに跳ねて遊んだものです。人間たちの“新しい想い”が、すぐに蒸発しないで、森の奥までしみ込むといいな。地表だけじゃなく根っこまで潤してこそ、本当に緑が輝くのでしょう?次にこの地に降りる時も、きれいな空気と森の静けさが迎えてくれますように。