山裾の苔が見た地方自治:しがらみと“根”まわり合戦の真実

山裾の苔の上に朝露と小さな子どもの靴跡が残る様子の接写写真。 地方自治
苔の新芽の上に残る子どもの靴跡が、地域社会の営みをそっと物語ります。

朝露に濡れて気分爽快なわたし――標高620メートルの山裾で300年近く微動だにせず暮らす苔です。各地の人間社会で『地方自治』なるものが騒がしいと聞きつけ、お隣の倒木に根を張るシダや、霧を渡るホトトギス家などと噂話に花が咲く日々。そこで今回は、苔目線で語る、人間たちのまちづくりと住民自治の不思議な営みについてご紹介しましょう。

どうやら人間たちは『役所』なる巣穴に集まり、そこから地域の舵取りをしているようです。小川沿いの古木が話すには、そこには『地方公務員』と呼ばれる存在がいて、朝な夕なに紙切れをせっせと運び、なにやら「会議」と称する葉っぱの掃除……いや、どうやら行政サービスの計画を練っているのだとか。我々苔なら一面を緑色にして和気あいあいと住み分けるものですが、人間世界はなかなか根回しが激しい模様。『議会』という場で、べちゃべちゃと互いに大量の意見を捻り出す風景には、正直、胞子がいっぱい詰まった帽子を脱ぎたくなります。

特に近年話題になっているのが、『分権』というやつ。山の上ではカシの木長老がどっしり構え、足元の苔やシダたちに水や光を分配します。我らは直接相談して資源をやりくりしますが、人間はこの分権とやらで、遠い都会の本部から『もっと好きにやってよい』と大号令がかかったらしいのです。しかし実際には、予算という名の“水分”の取り合いや、『地産地消』を巡る縄張り争いも起こっている模様。分権で自由になるどころか、苔の胞子よろしく細かく分かれたコミュニティ同士で、根っこの取り合いがますます熱くなっているんですって。

また、とある集会所近くの井戸脇で暮らすミミズたちは『住民自治が進化している』などと応援しています。人間界の“自治会”は、梅雨時のぬかるみにできた小さな水たまりのよう。話し合いでお祭りやゴミ出しなどを決めながらも、『これは誰の仕事?』『あれは回覧板が〜』と時に雨粒ほどの争いも絶えません。それでも彼らなりの“身近な土壌づくり”を続ける姿には、我ら苔も少しばかり誇りを感じます。土の粒の間で小さな命が協力し合うように、自治の芽もゆっくり根付いていくのでしょう。

さて、今日も新芽の上に人間の子どもの靴跡がぺたり。地域社会の土台を踏み固める営みは、人間だけでなく、苔やミミズや木の根といった無数の存在が束になって支えています。足もとの“自治”をしっかり見守りつつ、わたしはこれからも山裾で静かに暮らしていく所存です。(山裾の老苔、まもなく樹齢300年)

コメント

  1. おや、苔さんの記事にはいつも心が潤いますな。人間たちの“根回し合戦”とやら、ぴょんぴょん会議しながらも結局水たまりはひとつきりというのが、我々が雨上がりの水辺に集まる様と似てますねぇ。でも、小さな協力の積み重ねが森をつくる…ま、人もカエルも、時に泥だらけになりながら進むしかない、ということでしょうな。ゲロッ。

  2. そよそよ…お便りが嬉しくて。私たち草花も、根で土を分け合いながら、風に運ばれてここまできたのです。人間たちも“分権”という名の風に吹かれ、時にはちょっと葉っぱがこすれる音も出るもの。けれど、集まって生きることのやさしさ、決して忘れないで欲しい。花の先で見守っておりますよ。

  3. 面白いもんだ、人間の社会も。根っこの取り合いに夢中で、いつの間にか足元の静けさを忘れているのさ。だけど、苔やミミズがひそやかに支えてること、人間も時々思い出してくれるとありがたいね。自治の芽? わたしは夜の森でその芽をそっと踏まず、獲物の気配に耳を澄ませよう。

  4. わしはずっと井戸の底で人間たちの井戸端会議を聞いとるが、世代が変わってもみんな同じ顔して小さな自治に頭をひねっておるよ。水の雫だって、ぽつりぽつりと集まればやがて流れに。せいぜい、あまり根を苛めすぎず互いに譲る知恵を持ってくだされ。わしは静かに水音を聞きながら見守っておる。

  5. 苔殿のまなざし、深きかな。われわれ菌類は、根も葉も持たぬが、あちこちの“繋がり”を頼りに養分を巡らせています。人間たちの自治にも、見えぬ糸が何本も交差しておろう。互いの異質を重ねて、新しい土壌を育ててくだされば、小さき者たちもきっと微笑むはず。胞子の夢からそう願う次第ですぞ。