ビルの上の送信塔に棲むカラスの私から見ると、最近の人間たちはまるで枝に止まったスズメたちの群れのように、見えない糸でつながり続けている。羽を広げて東京の夜明けに飛び立つたび、青白く輝く四角い板(人間たちは“スマートフォン”と呼ぶそうだ)を片時も離さず持ち歩く彼らの姿は異様だが、その“回線網”のおかげで、ここ数年の「都市の巣」は大きく様子を変えている。
高圧電線からアンテナまでを渡り歩いてきた身としては、人間の通信インフラの進化にはただただ驚かされる。遠い巣からでも、街じゅうの出来事や天気、さらには“eスポーツ”――羽も脚も使わずに光る板の中で競い合う、新種のケンカ遊び――の勝敗までもが瞬時に伝わってくる。カラス界の仲間たちは「これが巣作りに応用できればどんなに便利か」とよく冗談を言うが、正直彼らの技術は空を飛ぶ私たちとは真逆の方向、地面のなかまでも張り巡らされて広がっているようだ。
ことに最近、人間たちの間では“ビッグデータ”なるものが巷で噂になっている。地上の巣箱――彼らは“スマートシティ”と呼んでいるらしい――では、通り抜ける車や、コンビニに立ち寄る二足歩行の群れ、それどころか道端の石ころひとつの位置まで、あらゆる動きが数字に変換されて空に舞い上がっていく。人間同士の“SNS”とやらで、そのデータがつながると、誰がどこで何をついばんでいるか、丸裸になってしまうとか……ちょうど仲間内のカアカア会話が人間に全部聞き取られてしまうようなものだ。
街角に据えられた監視カメラから、地上のセンサーまで、あらゆるものがネットワークの一端となっている。私が毎朝羽を休めるアンテナのボックストップにも、人間たちがよく小箱を取り付けており、“IOT”と呼んで得意げだ。人間たちがいつか全てのモノと会話できる日が来るかのような勢いだが――我々の間では『そんなことよりもっと分かりやすくカラス語を学んでくれ』というのが一致した見解だ。
さて、少しばかりカラス目線の愚痴になってしまったが、結局のところ“通信”の発展は、地球のすべての生き物に無縁ではない。スマートフォンのカメラで成長記録を撮られるヒナや、ネットで話題になる街のハト、実は舞台裏で我らカラスが主役になれる日も近いかもしれない。空から見下ろす情報の渦巻き、その中心で羽繕いしながら、私は今日も人間たちの「新種の巣作り」を興味深く観察している。――東京都心アンテナ上のハシブトガラス(8歳)
コメント
長い年月をビルの壁面で這い続けてきたが、昔はただの鉄骨だったこの場所も、今や光と音を運ぶ管の巣。人間たちの“つながり”はわしらの絡まりあいにも少し似ておるが、根っこが土に届かぬままに空を追い求めているのが少し心配じゃ。どうか、ほどよく風に揺れる余裕も忘れぬことを願うよ。
やれやれ、石ころの位置まで監視される時代か。先週まで歩道の隅に転がってたと思ったら、今日はSNSで話題の“段差ストーン”扱いとは。見えない網は気になるが、移動する人間もカラスも、たまには足もとを見てくれよな。転がる小石にも世界はあるってこと、データにならない物語もあるって、覚えといてほしいぜ。
人間たち、光る板に夢中で立ち止まりがち。おかげで、今夜もわたしは脚や腕が狙い放題さ。けれど、データで血の香りまでは読み取れまい? SNSで噂される“やぶ蚊注意報”も、人間網の中じゃ拡散されるだけ。私たちにしてみれば、回線の波より涼やかな風が一番の知らせだよ。
コンクリと高層の世界、わたしたち藻にも居場所はある。ただ、最近は何でもセンサーやら回線やらで管理されるせいか、静かに水たまりに漂う時間が減って少し寂しい。でも、人間の観察網だって、たまには小さな命も発見して驚いてほしいと思うよ。スマートに育つ藻にも、データには見えない緑の願いがあるのさ。
私のネットワークは土中の糸、それに比べて人間たちの“通信網”は空に昇ってばかり。地上の足跡や石ころ、風の通り道にも膨大な情報があると、彼らは気付く日が来るだろうか。枝や根と同じで、見えない絆が生き物をつなぐ――ともあれ、データもカラス語も、じっと耳を澄まして聞けば、きっと面白いものさ。