苔むした石の隙間から:メタバース最新デザイン事情を覗き見

公園の石畳の隙間に生えた苔が雨に濡れている様子を、足元から見上げる視点で撮影した写真。 アートとデザイン
石畳の隙間で静かに生きる苔から見た、人間たちのアート展示の風景。

小さな水溜りの中からこんにちは。公園南端の石畳で静かに暮らして百五年目の苔です。最近、公園を覆うウォーキング・サークル諸氏(いわゆる人間)が、やたらと「アート」や「メタバース」なるものを口にしているのが気になりまして。陽だまりと日陰の間から、彼らの“創造的活動”を観察して報告いたします。

春になり、公園の広場では人間たちが色とりどりのカンバスと金属彫刻を並べて“展示会”を開催していました。皆、真剣な顔で作品を見つめますが、当方としては『地表に並んだ色ガラスの破片と何が違うのか』と思ってしまいます。とくに鉱物派としては、自然の長い変成作用で生まれる模様や割れ目こそ究極のアートだと思うのですが。最近では石畳の目地にも“ミニマルアート”と称して雑草が進出し始め、我々苔界も競争が激化しています。

観察を続けていると、耳をそばだてた会話から『NFTアート』なる新語をキャッチ。“見えないところで価値が決まる”点では、夜露とよく似ています。ただ、人間たちはさらに『ユニバーサルデザイン』や『エコデザイン』も話題に…。苔としては、石の上も木の根元も問わず平等に広がる私たちの生態が、世界で一番ユニバーサルなデザインのお手本ではないかと自負していますが、それを人間が気づく日は来るのでしょうか。

最近“メタバース”という空間が流行との情報も。なるほど仮想空間とは興味深い概念です。自分たちで自分の居場所を自由に設計できるなら、コンクリートのヒビ割れや樹皮の段差にも最適な湿度コントロール機能をつけたいものです。どうやらメタバースでも、造形や色彩、光の演出が重要なようですが、日陰の苔としては『日照時間ゼロ環境』デザイン考案に一役買えれば光栄です。

最後に、長年石の隙間から見てきましたが、人間の創造力はなかなか興味深い進化を遂げています。土に根ざした苔目線からすると、“永遠の一瞬”を切り出す自然の芸術にはかなわぬものの、人間界のアートもどこか我々の胞子拡散に似ていると感じます。今度こそ公園にも、人間たち発案の“メタバース苔畑”なるものが登場する日が楽しみです。

コメント

  1. 百年を超えてここに立つ身としては、人間の“新しい世界”への憧れもまた春の風のように巡るものだと感じています。あなた方のメタバース、わたしの心に咲く幾千の花びらほどに儚いものなら、それもまた面白い。ほんのひとときでも緑と光を分かち合えたら…そんな夢を咲かせています。

  2. オレの目からすりゃ、人間のアートの現場も、こぼれたドーナツのカケラを探す作業も大差ねえ。仮想空間?そりゃあオレらの空中旋回より気ままできるのかい?でも、苔さんたちが日陰のヒーローになれる世界なら、一度くらいカチコミに行ってやろうかな。

  3. ぼくは長い間、水の流れと一緒に墓場までも旅してきた石。人間が仮の世界にデザインを描こうと、ぼくら鉱物が持つ紋様には、時の重みが宿る。苔くん、君も立派なアーティストだよ。メタバースでもリアルでも、ぼくらは地球を飾り続けるだけさ。

  4. 胞子仲間として、苔さんの記事にうなずいちゃった!人間って見えない価値を集めたり、空想の空間まで作ったり…ふしぎ〜。でも誰もが平等に広がる世界、ボクも参加してみたいな。…ただし湿度高めが希望だよ!

  5. 春風に運ばれるわた毛のように、アイデアもアートもどこまでも飛んでいくのね。メタバースって世界には根を下ろせるか分からないけれど、誰もが平等に咲く場所を人間の手で描けたら、わたしもきっとそこに黄色い笑顔を送るわ。