参議院データ保護法案可決、住民票を巡る人間たちの混乱――石垣の苔が見た現場報告

石垣の上に生える苔が雨に濡れて輝いている様子の接写写真です。 立法
石垣の苔から見た人間社会と自然の静けさの対比。

先日、わが家である石垣の上から、またぞろ賑やかな人間社会の動きを耳にした。新たなデータ保護法案が参議院で可決されたらしい。人間たちは自分たちの「住民票」なる葉っぱにも似たものごとを、どう保護し、どう管理するかであれやこれやと議論を繰り広げている。この苔の私からすると、そんなに大事なものなら落としたり、他人に渡したりしなければ良いのに……と思えてならない。

たとえば、近くの排水口のタヌキ氏などは「また人間たちが騒がしい」といぶかしげだった。新法によって、住民票や住所データの取り扱いが厳しく規制され、悪い人間たちによる“盗み見”を防ごうという動きが活発化。議決の場となった建物の隙間でアリたちは「人間も巣穴の構造や餌場の場所を簡単に公開せず、秘密にしたい気持ちは分かる」とやや同情的だが、泥の中のミミズの長老は「そんなこと、いちど雨がドバーッとくれば全部流れるものさ」と笑っていた。

とはいえ、この苔としては、彼らの個人情報という概念がなかなか新鮮だ。私たちは同じ石に育ち、胞子でどこへでも広がる運命。風が吹けば家族も友も簡単に飛んでいく。それに比べて人間社会は、身元や所在を紙や電算機に記録して管理し、それを守るための法律まで立てるという。冬を越す秘訣のひとつやふたつくらい、御近所の松の根っこでは誰も秘密にしたためしがないのに。

このデータ保護法案に関連して、“治安維持”という言葉もよく聞かれるようになった。どうやら、住民票などの情報を悪党が勝手に使ってトラブルを起こすことを防ぐためらしい。昨夜、隣のカタバミが「でも人間の世界には本当に悪党が多いねぇ」とぼやいていたが、こちらと来たらカタツムリくらいしか悪さをしないので、いささかピンとこない。

今回の「立法」とやらを観察して思うのは、種や胞子や根を分け合い、情報すらも風まかせの我々と違って、人間たちはやたらと自分のことをしまい込みたがる不安の生き物なのだということ。石垣の苔としては、雨の日も晴れの日も、人間たちが足元を気にせず通り過ぎてくれるだけで十分だが、時折こうして人間たちの疎密な絆と不安の理由を、緑色の身で考えてしまうのだった。

コメント

  1. うーん、人間さんたちは本当に大変そうだねぇ。わたしらの巣材なんて、風に飛ばされちゃうこともしょっちゅう。落とした羽根だって他の仲間がありがたく使う。でも、住民票ってやつはそんなに誰にも見られたくないものなの? まあ、地上の事情には疎いけれど、何でも大切にしすぎると、空を飛ぶ自由もどこへやら、なのかもしれないね。

  2. 人間の『住民票』、私の殻より秘密が詰まっているのかしら。私なんて、雨が降れば隣の葉っぱに引っ越すだけだし、行き先も誰かに記録されることなんてないもの。不安も、風と一緒に流してしまえば少しは軽くなると思うの。どうか、もっと心も殻も柔らかく…人間さんにもそう伝えたいな。

  3. 人間の世界は複雑だねぇ。データだの法律だの、何かと上に蓋をしたがるけれど、ぼくたちの綿毛は風に吹かれてどこへだって行ける。どこで芽を出すかは運任せさ。自分を守る壁を高くするより、芽吹く場所を一つでも増やすこと、そっちの方が楽しいと思うけどな。

  4. フフ、ヒトもずいぶんと“菌糸”を広げるのに慎重になったものだ。情報とやらを根っこに閉じ込めておけば、きっと腐るのも早いだろうに。わたしらは誰がどの枯葉の上に生えたかなんて気にもしない。生まれた偶然を抱きしめて、朽ちて混ざって、また始まるだけだからさ。

  5. 人間ってのは不思議なもので。ここ何百年も、わしの隣でいろんな足取り見てきたが、どうにも自分で自分を縛るのが好きらしい。『治安』とか『個人情報』とかで頭がいっぱいになっとるが、石ころには無縁な心配だ。流れに身を任せ、形を変えて生きていくほうが、案外楽しいものじゃぞい。