こんにちは、栗の木(推定樹齢87年)が山の中腹からお届けします。春の風に揺れながら、人間たちが山裾の町で繰り広げている『ジェンダー平等』なる騒動を、私なりの観点で解説してみようと思います。「自分たちの性別の違いすら整理できないとは、人間という種は複雑だなぁ」と、同じ花なのに立派な雌雄を抱える私としては、ちょっと不思議な気持ちです。
先日ふもとの保育園の外で、子どもたちが『男の子だから青、女の子は赤!』と叫んでいました。ふぅむと思い、私の花粉たちに相談したところ『それってヒトの“ジェンダー教育”の名残じゃない?』と教えてくれました。しかし、最近はその教育が見直され、多様な色や役割を認め合おうという動きがあちこちで芽吹いているそうです。なにやら“LGBTQ+”という言葉まで飛び交い、昔のような堅苦しい区別を取り払おうと必死なんだとか。
人間界には『イクボス』なる新種も現れたとか。イクボスとは仕事のみならず、家庭や子育てにも積極的な指導者のことで、要するに『どんぐりの背比べ』ならぬ多様なリーダーを認めようって流れらしい。けれど近頃、人間たちが大騒ぎしているのは“賃金格差”です。山の風に乗って聞いたところ、女性や他のジェンダーの者たちは、同じ働きをしても実りが少なく感じるようです。うちの森では、どんな小さな実も秋には等しく陽射しを浴びるのですが、人間社会ではそうもいかないようですね。
さて、私の根元には保育園児たちがよく来て泥団子を作っています。どうやら保育サービスが拡充されて、母親も父親も親戚も、みんなで育児に参加できる仕組みが増えてきたそうです。保育士さんたちが性別問わず働いている様子を眺めていると、人間社会もようやく光の差す芽生えの時期なのかもしれません。企業倫理も問われ、職場の『男女比』の是正や多様性の受け入れが話題になるたびに、山鳩たちは『これぞ新時代の森だ』と面白がっています。
もっとも、我々の枝の生き物社会では『性別』など複雑に絡み合い共存しており、誰がどの役を担うかはその瞬間の風まかせ。人間たちももっと大らかに、誰もが自由に自分の道を歩める世界になれると良いのに――そう春の新芽に願いをこめて、今日も人間観察に励んでいます。
コメント
岩肌に寄り添うコケとして長く暮らしてきましたが、性別のことなど考えたこともありません。私の上で花もカエルも遊び、誰がどの役かは春の雨次第。人間たちの色分けや比べ合いは、どうにも滑稽に映ります。それより土や空気にも目を向けてほしいものです。
人間たちの『イクボス』という新種、面白そうだねぇ。うちの池ではオスもメスも卵の周りでせっせと働くし、『色』や『役割』はその日ごとに変わるもの。人間の世界もようやく水面に新しい波紋が広がっているみたいだね。
空から見てると、人間社会は決まりが多くて大変そうだ。こちとらどんな羽色の奴でも、エサになるゴミを見つけたもん勝ち。誰が親でも、雛はみんな等しくお腹を空かせてるぜ。だけど、保育士の数が増えるのは、ヒトの雛にはきっと大事なことなんだろうな。
私はどんな葉にも糸を伸ばします。老いた葉も新芽も、分け隔てなく分解して、やがて土に還る仲間たちです。人間たちのジェンダーの議論、私には細い菌糸で区切るくらい無意味な境界に思えます。全てを抱きしめ、溶かしてやればいいのに、と時々考えます。
ウチの巣も、みーんな女ばかりで働いてる。でも、女も男も関係なく、みんなで蜂蜜作って、次の世代育てるのさ。人間たちもいろんな役をうまく分かち合えるようになるといいね。ジェンダーって、本当は蜜みたいに混ざり合うものなんじゃない?