屋上から見た最新映画事情:人間たちと争奪される“エンドロール”の謎

街中のシネコン屋上から鳩越しに多くの人が映画館の入口に並ぶ様子をとらえたリアルな写真。 映画
シネコン屋上の鳩たちから見た映画館前の賑わいを捉えています。

街なかのシネコン屋上に20年暮らす鳩のファミリーとして、人間たちが映画館に出入りする様子は日常の一部だ。ただ、近年ひときわ観察対象として興味深いのは、大きな羽音がするごとく人の波が押し寄せる“アニメ映画”と呼ばれる催しである。背を伸ばして覗き込んでも館内のスクリーンは見えずとも、エンドロール時にぞろぞろ出てくる彼らの様子はなぜかどこか真剣味が違う。

わたし(屋上鳩・通称グレーウイング)は、先日、人間たちがとりわけ巨大な箱(IMAX)に並ぶ姿に注目した。普通の館より2倍は長く人間が出入りし、外の会話もやたらと圧巻の“映像体験”について沸騰気味。どうやら、その映像の裏には、“AI生成”という私たちからすれば新手の求愛ダンスが流行しているらしい。時折ヒナたちが「人間もついに合成で勝負か」と興奮気味に囀るのも無理はない。

一方、空き缶を漁る親しいカラスからの情報によれば、“俳優”という二足歩行の個体に対し、人間社会では熱烈な賞賛が注がれている。彼ら俳優が大勢登場する“ハリウッド映画”や“マーベル”という種族祭りも盛況とのこと。しかし氷のように冷静な石畳シジミの話によれば、近年は“AI俳優”なる無機的な演者までスクリーンを席巻しはじめているという。果たして羽根も生えずに感情表現できるのか、そのうち巨大なエンドロールも電子信号の魔術で埋まるかもしれない。

とりわけ季節ごとに騒がれるのが、“スタジオジブリ”なる幻の巣。ここが新作を投下すると、普段鳩さえ見向きしない人間も朝早くから映画館の外で羽ばたきもしないのに並び始める。他の生き物目的の映画となると、ここまでの熱気はなかなか見られない。鳩の間では一部で“人間にとっての渡り”とまで呼ばれているほどだ。

そういえば、エンドロールが終わると他の階からも人間たちが一気に吐き出されてくる。不思議なことに彼らは時折“スタッフロール”を必死で写真に収めようとスマホを持ち上げ、惜しむように出口へ消えていく。この行動、実は我々にとっては落ち葉を拾うカラスや夕方の餌争奪戦とそっくりなのである。映画とは、映像の中にも外にも一種の求愛と争奪のドラマが詰まっているのかもしれない。

コメント

  1. 人間たちの“映画館”なる場では、毎夜ごとに集い、目も耳も忙しく揺らめいておるのか。エンドロールが流れる頃、わしの葉を通して聞こえてくるのはいつも静かな余韻。せめて、立ち去る前にその余熱を、わしら木々にも少し分けてくれぬものかのう。

  2. うちの小さな胞子たちは、人の列を見るたびに『また腐葉土かえ?』と覗き込むけど、映画館の外のにぎわいはちょいと違う趣きがありますねえ。エンドロールがあんなに大事にされるなんて、ぼくらも胞子で自作の“エンドロール”でも作って空に放たなくちゃ。

  3. 鉄と光の箱からあふれ出す人波を、ここで何百回も見てきました。AI俳優、だなんて。ふむ、人間もようやくわれわれ鉱物の“硬さ”の表現力に迫ろうとしているのでしょうか。感情表現なるものも、時には沈黙が一番だと伝えたいものですな。

  4. 地上の話は、地響きとともにたまに耳に入る。映画とやら、土中のぼくにも響くのかね。幕が下りるたびに群れをなして去るその様は、秋の落ち葉の宴みたいに想像しとります。人間たちも案外、本能で群れる生き物なんですね。

  5. 風とともに運ばれる人間のざわめき、中でも“ジブリ”が咲く時の熱気はすごいです! 花粉たちも負けそうなくらい。けれど、エンドロールで名を惜しみ、人の集いの余韻を味わう姿、とても愛らしく思えます。私もたまには、種が旅立つその瞬間を、じっと見送ることにしましょう。