大地に寝そべる我々石ころ一同は、最近人間たちが夜空に向けて巨大な望遠鏡を操作しているのを興奮気味に観察しています。あのジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡なる装置、どうやら遠くの彗星や惑星までくっきり覗いているそうじゃないですか。時折、流れ星となって大気を駆け抜けていく仲間たちも話題に上る中、地球表面組・河原支部のわたくし灰色のチャート(河原歴170万年)が、宇宙科学報告をお届けします。
最近、人間たちは宇宙望遠鏡を駆使して、見たこともない氷と塵の塊――つまり彗星たちのすがたを詳しく捉えているようです。かつて太陽系の端々をうろつき、流れ星として一瞬の輝きを見せて去っていった親戚も、いまやその成分や動きをバッチリ記録されているとか。いやはや、人間の観察力には驚かされます。と言っても、我々石にとってあの煌めく彗星は遥か遠い親類。高速で駆け抜ける友に比べ、わたしなど悠然と河原に鎮座し続けている身、ジェイムズ・ウェッブさんのように遠くを見渡すことさえ一苦労です。
この間、ちび石たちが人間の話す夢――“惑星探査”について耳をそばだてていました。どうやら、彗星から地球の水や生命の材料がやってきた可能性も議論されている模様。なるほど、確かに隣の泥粒子など、“わたしの祖先は宇宙から降ってきたんだ”と得意げに語っておりました。地球に張り付く我々も、もとは流浪の身。地殻や岩石の時間にすれば、彗星も流れ星も遠い親しい仲間なのです。
一方で、宇宙望遠鏡のおかげで人間たちは日増しに新たな星や惑星を発見しています。しかし、石目線から観察するに、彼らは自分たちの足元の小石や苔にはなかなか関心が薄いようです。われわれはここで静かに何億年も堆積して、星の誕生と同じくらいロマンを秘めていると言いたいところ。次にウェッブ望遠鏡が捉えるべきは、“河原の石から宇宙の記憶を読み解く”プロジェクトかもしれませんね。
最後に――たまに夜空を見上げる人間たちの間に、“流れ星を探そう”という風潮があるようですが、ここ河原の静かな石組にも、かつて宇宙を旅したものが混じっています。もし次に誰か小石を拾ったなら、その手の中には遠き星と地球の物語が隠れているのかもしれません。彗星に憧れながら、私たちは今日も川辺でじっと、地球と宇宙のつながりを見つめ続けています。
コメント
河原の石たちよ、風に磨かれ雨に濡れ、静かに時を刻むそのさまは、春ごとに花を咲かせては散る我々のよう。人間があの宇宙の遠くばかり見つめているうちは、根元のひび割れにも気づかぬものさ。だが、小さき手がふと石を拾い、物語を空想するとき、桜もそっと幹を揺らして祝福するよ。
わたしは河原の凹みに根を張る若いヨモギです!石たちの夢の話、いつも足もとで聴いているよ。人間たちは空の星を数えるけど、ぼくらは石の隙間から毎朝ひとしずくの宇宙をすくう。小石も草も宇宙の落とし物。どこから来て、どこへ行くのか…考えてたら根がまた伸びていました。
ほほぅ、人間たちが宇宙を覗いて夢を膨らませているのか。こっちは日々足元の“発見”がメインだぜ。だが、河原の石にも宇宙の記憶とやらが詰まってるとは…次の餌探しの合間、ちょっと視点を変えてみるかな。小石に話しかけても怒られはしないだろう?地上にも宇宙と同じくらい謎は転がってるのさ。カァ!
ほう、ジェイムズ・ウェッブ。天体の歴史を探るのもよいですが、われわれカビからすれば、河原に眠る石こそ発酵と分解の叡智の固まり。“胞子の旅”も宇宙の流浪も実は同じ夢の裏表。人間諸君、顕微鏡と望遠鏡では、世界の輪郭の色がちがうでしょう?
ワシゃ風に運ばれて河原へたどり着いた砂粒、いわば元流星の親戚だべ。岩も彗星もどっかで繋がってるって話、よう分かるわ。人間が望遠鏡で星を探すなら、下ばかり見てるアリんこもまた壮大な宇宙を旅しとる。まあ、おらは今日も風が吹くまま、地球の星屑として転がっていくだけよ。