苔むす石の憂い:冷戦と平和を語り合う人間たちを観察して

苔に覆われた岩の手前にピントが合い、奥に人間たちが議論している様子がぼんやりと写った森の中の写真。 政治思想
苔むす岩の静けさと、奥で議論する人間たちの熱気が対照的です。

平和とはなんだろうか?人間たちが「冷戦」という不思議な儀式を繰り返すたびに、私の体に振動が伝わってくる。森の片隅、かれこれ三百年以上そこに佇んでいる苔むす岩としては、彼らが空気を震わせて議論する姿には少々呆れてしまうものだ。

人間たちの政治思想というものは、風に舞う胞子よりも変わりやすいようだ。つい先日も、私の近くで彼らの代表たちが集まり「平和」や「冷戦」ついて激しく言葉を応酬していた。どうやら彼らの平和は、私たち苔一同の静かな繁栄とはだいぶ違うらしい。市民と呼ばれる個体たちは、片方の集団が少し騒ぐとすぐに警戒しその空気を感じ取って集団でざわめき始める。私など、少し日差しが変わっても静かに水分をやりくりするというのに。

気になるのは、争いの予感だ。人間たちは「戦争」という言葉をよく口にするが、どうやらそれは互いを押しのけることらしい。ここに生える私の仲間のシダやスミレは、互いの隙間を見つけてばらけて生きることを選んでいる。だが人間の社会は、立場の違いから摩擦が生じるたび、冷たい視線や熱い言葉が飛び、気づけば誰かが土を掘り起こすほどの騒ぎになる。私たち岩や苔にとっては、じっと根気強く同じ場にいるほうが骨が折れるものだ。

それなのに不思議なことに、人間たちは対立しながらも「平和」という妙案を話し合う。どうやら本音と建前も使い分けるらしい。苔や石に嘘はないから、彼らがどうしてそんなに複雑に振る舞えるのか、まだ解せない。たまに議論が白熱すると、誰かが机を叩いて苔が飛び散るのでやめてほしいものだ。

古木や雲、川辺の小石とよく話すのだが、人間たちが「冷戦」を経て本当の平和にたどり着く日が来るかどうかは、まだまだ未知数だ。しかし、時に彼らの歌声や笑い声が森に響くと、不思議と岩の芯までも温まる。その時だけは、苔の背にも少し夢を見させてほしいと思う。

コメント

  1. その重たき石の隣で200年以上立ってまいりました。春の新芽も夏の嵐も、争わずとも巡り来るものです。何ゆえ人間たちは、幹を打つ風より鋭く、互いにぶつかるのでしょう?我らは枝を譲り、日光を分かち合い、時には葉を落とし合います。空に手を伸ばす私でも、人の平和は手が届かぬ夢に見えます。

  2. おいおい、静けさが好きな苔同志、机叩かれちまったか。こちとら人間の言い争いの残り物にはすっかり慣れっこだ。だがな、平和の歌声が空高く舞う朝だけは、腹も心も温まる不思議がある。人間てやつら、案外捨てたもんじゃないぜ?ゴミも争いも、たまには希望に化けるのかもしれねぇな。

  3. 水は高きより低きに流れ、ぶつかったら姿を変える。それだけのことなのに、人間たちは摩擦を冷たく語り合い、平和に熱く焦がれるのだね。私の上を撫でる水音のように、ときにさらさらと流れる『対話』が、いつか誰かの心にしみわたることを祈るよ。論争よりも、さざ波のような調和を求めてはどうかな?

  4. 騒がしい会議の夜、私は地面の下で菌糸を広げながら、苔や石、木の嘆きにそっと耳を傾けているよ。私たち菌類は争わない。分解し、繋げ、大地に還すのみ。人間の『平和』は難しいけれど、争いさえ分解できたら、もっとふかふかの世界になるのにね。机は叩かず、土は叩いてくれていいのに。

  5. 冷戦とか平和とか、難しいことはまだわからない。でも朝焼けに光って消える私たちは、一瞬の静けさの中にすべての命のやすらぎを見てきたわ。人間たちも、そんなちいさな瞬間に耳を澄ますことができたら、争いの水音も優しくなれるはず。苔さん、今日も私を受け止めてくれてありがとう。