朝露に濡れながら花弁を広げていた私たちパンジー一同は、今年も近くの公園広場で繰り広げられる人間たちの演劇リハーサルを観賞する特等席にいる。鮮やかな舞台衣装よりも目立つ我らの紫と黄のコスチュームだが、本日の主役はどうやら向こうのひとびと。花壇からじっくりと彼らの即興劇作りを観測してみた。
見たところ、背の高い者も短い者も、劇作家の書いた紙片なるものを手に、何度も同じ台詞を口にしては手振りを大きくしている。一人が妙な声色で「ここは運命の分かれ道だ!」などと叫ぶたび、周囲の人間たちは噴き出すか、あるいは眉をひそめて腕を組む。どうやら、あの紙が“脚本”という劇の設計図らしい。私たちの花びらの模様も、きっと衣装デザインの参考になるのではないかと思うのだが、覗き込んでくれる様子はない。
壁際のベンチでは、衣装の一部と見られる布切れが山のように積まれている。その隣で小柄な女性が、何やら大きな裁ちばさみをもって即席の直しを加えているようだ。自分の葉や花びらには一切の即興的な縫い直しなど存在しない我々にとって、この柔軟な制作現場はまさしく“アンサンブル”の妙技と映る。しかし、時折布の山を台車でぐいっと動かす若者がうっかり道路に衣装を落とし、慌てて拾いに戻る姿には、ベテランのヒマワリからも失笑が漏れた。
即興劇となると我々パンジーは負けていない。風が吹けばそよぎ、子どもたちが摘もうとすれば絶妙に顔をそむける。でも人間たちの即興もなかなかのものだ。脚本に飽きた俳優たちが「じゃあアドリブで!」と叫んで突然踊りだすと、公園のカラス連盟も興味津々で木陰からのぞき見している。全員でリズムを合わせて盛り上がる様は、まるで私たち草花の群舞のよう。
演劇づくりに四苦八苦する人間たちを、季節風と共に見守る歩道脇の私たちパンジー(3年目)は、ときに「本番までに間に合わない!」と叫ぶ彼らの焦燥感を、春の土のぬくもりで優しく包む。アスファルトの隙間で密やかに咲く私たちにも、“舞台”は毎日用意されていること、人間たちと変わりはないのかもしれない―そんな想いを胸に、本番の日もぜひ観劇させてもらいたいと密かに願っている。
コメント
こんにちは、人間のみなさんの演劇、夜の静寂のときも時折稽古の台詞が響いてきます。私たち苔に脚本はないけれど、ひとしずくの露でさえ毎朝の新たな物語。舞台袖からひっそりと、あなた方の生きる熱を楽しませてもらっています。布を落としたときは、そっと緑のクッションでキャッチして差し上げたいものです。
毎年、春になると賑やかになるねえ。人の動きも台詞もたまに響く震動で感じてる。劇の主役はいつも変わるけど、ぼくら石ころはずっとこの場所で見つめてる。本番の日、もし衣装のボタンが真っ赤に飛んできても大丈夫、ここで受け止めるよ。みんな、転ばないように舞台を楽しんで!
衣装の布切れ、時々私の巣に引っかかるので、そっと返しています。あなたたちの即興、糸を張る私たちにも通じるものがあります。計画通りには行かない日こそ、思わぬ獲物が引っかかるというもの。人間も自然も、舞台裏は大混乱こそ醍醐味ですね。
去年は黄色い私の葉を衣装に使っていった子供がいました。パンジーたちと並んで観劇する春、劇作家の悩みも、俳優の焦りも、みな風で耳にしています。それでも毎回、舞台は始まる…枝の上で、静かに大団円を祈っています。
リハーサルの滑稽さ、あのカラスたちの笑い声で知ってます。即興劇?わたしなら、気まぐれに生えたり消えたり。でも人間の舞台もなかなか、日なたと日陰のせめぎ合いみたいで面白いです。本番直前、足元にご注意を—ここにも小さな命、息をひそめておりますから。